cognitive nightというのに行ってきた感想。(素人としての)
先日IBMのCognitive Nightっていうのに行ってきた。
これ。
内容はIBMのWatsonでどんなことができるでしょう?っていうことで、Watsonの概要と事例紹介に始まり、実際に使用例を考えてみよう!っていうワークショップで終わる構成だった。
私自身はど素人でコグニティブについて1ミリも知らずに参加したが、分かったのは以下のようなこと。
そもそもコグニティブとは非構造化データ(つまり自然言語や音声や画像などのこれまでシステム的にデータ処理できなかった情報)が処理可能になることと、機械学習の組み合わせ、ってことらしい。ということは、世の中のあらゆる情報が処理可能になるってことで、学習の質と幅が無限って言えるほどすごくなるっていうこと。
で、何ができるかっていうと、特定の個人のSNSの履歴を対象に、その他膨大な過去データと照合して、その人がどんな性格かを数値化できて、人事評価や採用のミスマッチを劇的に減らせる、とか、保険の支払査定で、これまで経験豊富な社員した判断できなかったような難しい判断が過去の膨大な事例をあたって機械で処理できるとか、とにかく色々で、これとIoTとかビッグデータとか同時進行することで、今想像できないことがどんどん実現していくらしい。
なるほどー。
日本ではまだ公開されている事例は限られているけれど、どうやらすでに始まっているし、目の前でどんどん進んでいく話のようだ。上で書いたような事例は以下でも紹介されている。
いくつか感想を。
まずこういう技術の進歩というものは止められないんだぁということをしみじみ感じた。たぶん仕事を奪われる人もいるだろうし、弊害はまだ誰にもすっきりとはわかっていない。けどわからないということで止めることはできないんだなぁ。
あと、仮に仕事が減って、生産性が上がってよかったね、ってなった時、人間は何をして過ごすんだろう。今以上に生きる意味を考えちゃうのではないか。余暇と自由を得て何をするんだろう。その時は生活は満たされているんだろうか。生産性があがることと末端まで豊かになることは、すでに今の世の中を見ていても関係ないしなぁ。
もう一つ、これは合わせてIBMの動画を見たことで感じた感想でもあるけど、コグニティブコンピューティングにより回答の選択肢を常に用意される世の中になったとして、コグニティブの相棒は利用者の好みも反映して選択肢を出してくれるらしいけれど、そうなってくると、自分自身の判断とか価値観、性格ってすごく曖昧になりそう。自分が選んだのか、機械が選んだのか、その選択の積み重ねてできた自分の価値観って、自分のものなのか。あと、失敗ってできなくなるのか。機械が勧めない選択肢を選ぶことって、きっと感覚的になかなかできないと思う。もうそうなると、どの決断が自分らしいものなのか、何が自分なのか分かんなくなりそう。その時、人間はどんな心理状態になるんだろう。幸せなのかなぁ。
別に新しい技術がすべて悪いとは思わない。正直、ワークショップも楽しかったし、未来のこと、新しいこと、知らないことに対してわくわくするのも人間の性質だと思う。けどなんかうまく言えないけど、個人にフォーカスして最適化してっていう話のはずなのに、どこかにすごい疎外感を感じた。これから、生き物としての私自身にとって、この技術はどんな関係性を提示してくるんだろう。
あと、これを進める立場というのは、本当に不思議で、誰のためにこれを進めているんだろう。効率化は間違いなく図れるし短期的には極端なコスト削減や収益増に寄与すると思う。その先のことは誰にもわからない。おもしろい。新しい。なんでもできてしまう、あなたは何をしますか。という主催者からの提示。なんでもできる、が結構リアルだからこそ、なんでもできる。という言葉のもつ何とも言えない凄み。
結果、刺激的で勉強になって、なんとも言えない気持ちになったセミナーでした笑。良くとらえれば、未来に一層興味が湧いた。ちょっと不安を伴う興味。知りながら、生きていきたいな。事後的にショックをうけないように。そしてできることなら、技術に飲まれず、技術を使い、共存できる意志と能力のある人間であることで、新しい変化を前向きにとらえられれば理想的。自分に限らずどれほどそんな人間がいるのか不明だが・・・。ちなみにIBM的には人材確保のためのアピールを兼ねたものだったぽい。そのためにはかなり良い手段だったのではないかと感じるけど、どうだったのでしょうか。誰か優秀な参加者は使う側に回ったのでしょうか。
上で書いた動画はこちら。
まぁここらへんの話は過去紹介したこの本なんかとつながってくる話ですね。
まぁそんなこんなで時代の転換点をうっすら感じることの多い今日この頃です。
来年、田んぼどうするかなー。
「仕事は楽しくてもつまらなくても続けていくと決めた」プロフェッショナル仕事の流儀 ミナペルホネン 皆川明を見て思ったこと
また録画してあった仕事の流儀を見た。
今回はデザイナーの皆川明さん。ミナペルホネンの代表の方が今回の主人公。
今回もすごいびっくりした。
彼は就職先がすんなり見つからず渡米。デザイン経験ゼロでたまたまファッションショーを手伝う経験をし、服飾を仕事とする事を決意。帰国後、専門学校に入る。不器用で人より一年長く通い、卒業後は生地メーカーで働きながら学び独立。自分のセンスでは縫製だけで勝負は無理と、生地から作ることをブランドの独自性にすると決める。午前中は魚屋、午後は生地屋でタダで働き、その代わりに自分の生地を作らせてもらう日々。睡眠を削って服を作る。そして服は売れない。売れるようになるまでにそんな下積み生活があったのだと。そしてそんな彼の作る服は今も流行に流されず長く着てもらうことを前提につくられている。
ちなみにミナペルホネンは雑誌で見て以前から知っていたけど、勝手に若手の女性デザイナーだと思いこんでいたから、それもびっくりした。それは余談。
そんな彼の言葉で衝撃を受けたのが以下のセリフ。彼の仕事に対する考え方について。
楽しいとかつまらないとか、うまくいくとかいかないとかということで、この職業を捨てるつもりはないし、それによって自分の仕事をはかることもなく、とにかくいろんなことを飲み込みながらとにかく続けるっていう思い…
なんかまだうまく消化できていないけれど、これには不意打ちみたいな衝撃をうけた。仕事に関する文章や言葉って世の中に無限とあるけれど、そのほとんどは、うまくいくことといかないこと、楽しいことと楽しめないこと、これに関する記事だと思う。
そのどちらとも関係ないのか!
なおかつそれで自分の仕事をはかることもしない。それはどういうことだろう。
どういうことか全然わからないのだけど、何故かすごく気になる言葉で、真理なのかも、と思ってしまう所がある。そう感じるのは何故だろうと考えてみた。
ひとつ、感覚的にしっくりくるのは、そもそも生きること自体はそういうことだな、という考え方。楽しくても楽しくなくても、うまくいってもいかなくても、それで自分をはかったところで仕方ないし、ただ続けるもの。それはネガティブな意味でなくて、この言葉を聞くと、ただ淡々とそういうものなのかもという気持ちになってくる。
もうひとつは、最近農作業をしていて感じること。もちろん楽しいし、どうせならうまくいかせたいけど、でも、多分本質は、つまらなくてもうまくいかなくても、それ自体が何か人生とセットのものとして続いていくような気がしてくる。そんな感覚。
ただ、一方、仕事のこととなると当たり前のように、いかにうまくやるか、いかに楽しむか、自分はこれでよい、悪い、とそう考えるものなんだと思ってきた。
でも、仕事が人生の一部ならば、皆川さんのような向き合い方って実はすごく本質的なのかもしれない。けど、このことを上司に話してみたら、その人は強い人なんだよ。普通はそんな風になれない。って言われた。なるほど。それは強さなのか。どうなんだろう。
けど、仕事や生き方を考える上でなんか超自然的な?目線をなんとなくイメージとして持てるようになったのは今後も引き続き悩んでいく私の立場からすると、なんだかありがたいことだったように思う。
これからももやもやと、このことを頭の片隅に置いておこう。
あとはオマケ。
他にもステキなセリフがあったので備忘に記載しておく。
思う方向に向かいたいと思いながら、思ってるうちはできそうもないジレンマ。パッとひらける瞬間がある。思ってないと瞬間もない。思っているうちはその瞬間ではない。もやもやしてる。
これはあたしでも何となく分かる。頭で考えて目指してるうちはまだ遠くて、ある時ふと達成されることはある。それでも目指してなければたどり着くこともない。これを信じてこれからももやもやしよう。
そしてプロフェッショナルとは?
使命と夢が両方携えられている。それは自分の人生の持ち時間を越えるくらいのもの。その時は諦めのスイッチは切ってしまう。
なるほどー。人生の時間を越えるくらいの使命と夢。やっぱり強い人なんだろうな。そして諦めのスイッチは切る!彼はなんか曖昧な表情で控え目に話すけど、なんかかっこいいな、と思った次第。
以上です。
近所の本屋
近所の本屋で本を買った。
その隣にあった喫茶店がこの間閉店した。
昭和な雰囲気の喫茶店で一度行きたいと思いながら二年。行かないまま閉店してしまった。後悔。
そうなっては困ると本屋に入ってみた。
元々あたしは、世の中に大型店、チェーン店、Amazonだけになってしまうのは寂しい!と思って、なるべく地元のお店で買うようにしているけれど、しかし今日はあらためて、難しいなぁ!と再確認してしまった。
まず、品揃え。本って野菜や布団や文房具よりも、本当にピンポイントで必要なものじゃないとなかなか意味がない。もちろん、ふとした出会いで思ってもなかった文章を読むってこともあるでしょう。しかしやはり実用書はニーズとマッチしてる必要があるし、小説も好みがあるし、何でもよいとはならない。ラインナップが少ないとどうしても欲しい本がある可能性は低いよなぁ。
あとは鮮度。内容的にもそうだし、どうしても物は長く置いとくと少し変色したり、すこしホコリがついたりする。間口を広げて明るい店内にしたらなおさら。新品のお買い物をするときに、まぁ読めればいいんだけど、現代人的には気になってしまう。まぁここは店長の頑張る余地はまだあるな。
あとこれは完璧に余計なお世話だけど、店主のモチベーション。お店入っても、どうせ買わないよね的な空気。もちろんゴリゴリ来てほしいわけじゃないし静かに選びたいけど、なんとなく店内の雰囲気が諦めムード。何かこだわりがあるわけでもなく。まぁ毎日何人お客さんあるのか分からないけど、あの静かな店内で売ろうと努力する気持ちを維持するのは容易じゃないよなぁ。もしくは地主かなんかで売らなくてもいいのかなぁ。まぁこれは、ほっとけって話だけど。
ちなみに、結局は欲しかった内容の本は無くて、なんとなくプランター菜園の本を買った笑。無駄にするわけにいかないからプランター菜園やってみるか。
あと思ったのは欲しい本の取り寄せの窓口にしたら良いな、ってことと、報われるか分からないから無責任な提案だけど店長の好み全開のマニアックなセレクトにするとか、そのくらい攻めた方が差別化出来て楽しいよなぁと思った。
時代の流れは止まらないけど、全国どこの町も似たような風景になっていくことが個人的に寂しいと思っちゃう。自営業がアツい世の中ってもっと楽しい気がするなぁ。まぁあたしは金持ちじゃないけど、もっと街を散策して必要な小さな買い物をちゃんとしていこうと思った次第。
明日は駅向こうの肉屋まで足を運んで、なんかちゃんと料理しよっと。
一般意志2.0 読了
誰かのtweetで紹介されていておもしろそうだったから、一般意志2.0を読んでみた。
面白かった。
ルソーについて、授業で聞いたことあるきがするけど忘れてたし、よく知らなかったけど、この本でやってみるのはルソーの一般意志という概念をそのまんま読み直して現代風に具体化してみよう、という試み。
共感できたのは、熟議による合意形成、民主主義を現実的ではないと前提にしている点。本当にそう思う。政治参加とか言われても問題が多すぎるし複雑に関連しあってるし、こうあるべき!っていう全体像を描くのは個人には難しい。なんなら著者も言ってるけど何かの専門家だって特定分野以外は素人なんだしね。
デモとかもとても大事だと思うけど、本当にあれで世の中が動くかと聞かれるとあまり実感がわかない。
そこで著者は一般意志2.0ってことで、ニコ生みたいな形をひとつのイメージにして、専門家の熟議に世論で影響を与えよう、と考える。
ニコ生って言ってしまうとイメージが狭まるけど、ああいうリアルタイムの参加だけじゃなくて、なんかもっと日常のあらゆるやりとりの中から民意を取り出すことは出来そうだなぁと思った。
こないだIBMのcognitive nightってワークショップ行ってみたけど、まさに膨大な自然言語データの解析と利用の話だし、ニコ生よりよっぽど現実味ある。
出てきた民意が思いがけず誰のためにもならないものだったり、そんなこともありそうだから何とも言えないけど、今の民主主義には違和感あるよねー、って人にはおもしろいかもです。
ご参考までに。
プロフェッショナル仕事の流儀 介護福祉施設経営者 加藤忠相を見て思ったこと
録画しておいた番組を今見た。
プロフェッショナル仕事の流儀。毎週録画してあって時間があるときにちょいちょい見ている。今回は介護福祉施設の経営者。加藤さんという人が主人公。
結論から言うと素晴らしい内容だった。なんだか感動して涙が出てしまったし、見てよかったと思う。とにかく、加藤さんが愛情深くて。素敵な人だなぁと思った。
しかし一方で、まだ迷走しているあたしにとっては疑問に思うこともたくさんあった。クソまじめな暑苦しい話だけど、気持ちがあるうちに書いてみよう。
以下疑問と気になったこととそう思った背景。
①権利について
・全ての人は自分の思うとおりに生きる資格を持っているのか
・全ての人に愛される資格はあるか(尾崎みたいだが笑)
・愛する側の人間は努力してでもそう振る舞うべきなのか。それは誰なのか。
・プロとしてではなく、家族として同じことができるか。できる条件は。
・介護される側は、介護する人に敬意を持つことができるか。
加藤さんの施設では利用者のしたいことに徹底的に協力するスタンスをとっている。これは認知症患者に対しては安心できる場所で楽しい思いをしてもらうことそのものが本質的ケアだとするから。しかし、通常は人の希望は叶わないことも多い。もちろん、加藤さんは”通常の生活においては叶えられるはずの希望が叶えられないこと”を指して課題と認識しているはずだから、この指摘は的外れかもしれないが日々一件一件の事例を考えるときっと悩ましい線引きばかりなんじゃないかなぁ。
また、本人の希望に寄り添うべき人間は誰なのか。家族なのか、介護士なのか、接点を持つすべての人間なのか。しかし認知症じゃない人もみんなそれぞれ自分なりも課題や不安や不満を抱えている。どれほどの人がここまで徹底して他人を受け入れられるか。いろんな要素が絡むだろうし、対応する側の育成?と支援が必要なのだろう。あたし自身は誰かがそうなった時、どう振る舞うことができるだろう・・・。
他方、介護される側がする側に対して敬意を持つことも重要だと思う。あたしの祖母は介護施設に入っているがサービス利用者としての権利意識がとても強い。まぁこの施設は利用者と家族を顧客ととらえていると思うから、お互い様の関係性の中でそうなっていると思うけれども。(ちなみに施設の姿勢を問題だと思っているわけでは全くない。普通の、当然の認識だと思う。)やはり敬意は両方向にないと、介護する側にどんなに気持ちがあっても、辛くなってしまいそう。
②資本主義経済と理想との関係
・一人ひとりを丁寧に幸せにしていくことは仕事として成立するか。
または成立する条件は?(誰がお金払う?orお金以外の相互メリット?)
・一人ひとりを丁寧に幸せにしていく仕事は社会全体のプラスとなるか。
またはプラスとなるための条件は。
次に思ったのは、このような丁寧なケアは理想だと感じたけれど仕事として成立するのかということ。ここまで丁寧なケアを維持しようとするとお金がかかりすぎるのではないか。どうなっているのだろう。
あとは、老人の一人ひとりの時間を本当に満たされたものにしていくことは日本の優先順位の中でどのように位置づけられるべきなんだろう。当然みんな幸せが理想だけど。たとえば、子供の貧困は最重要課題だ、というのはわかりやすい。子供は未来だから。けど今の日本の人口構成で、非常に長い寿命を持ったわれわれ人間の、生産段階ではない時間はどのようにあるべきなんだろう。消費だけなのか、消費を介して幸せな時間を得るのか、それは権利なのか。逆にどのような条件がそろうと、世の中にとって最大メリットを生むだろう。たとえば、「認知症利用者もできることをやり、生産を担い、経済に参加する」や「数の多い老人が少しずつ仕事を担い、数少ない子供たちの支援につなげる」など?
③体を使って生きることについて
・手続き記憶(体に染みついた作業などの記憶)は衰えにくいとのこと。
体を使って生きることの意味は現代社会が想定するより広そうだ。
現代社会で生活の中で体を使うことをどう評価するか。
・介護される側が介護者に敬意を持つことは、生活それ自体
(生活を構成するあらゆる作業)への敬意が無いとできないのではないか。
もう一つは全然別の視点だけど、体をつかって生活することについて。現代の私たちの生活では、体を使うシーンがどんどん減っていっている。農作業しない、自炊しない、洋服縫わない、道具作らない、掃除しない、全部お金か機械がカバーしてくれる。そうやって毎日生きた結果、記憶を呼び戻してくれる手作業って何が残っているだろう。人間は自分たちのことをよく知らないけど、体の担う役割は思っている以上に、頭に対しても心に対しても大きいのではないかと思う。
あとこれはすでに書いたこととも関連するけど、介護される人が介護してくれる人に対して敬意を払うためには、介護の中身、つまり生活を構成するあらゆる作業、料理、食事、掃除、お風呂、トイレなど、健常者は無意識で行うような作業一つ一つに対して敬意と理解をもっていることが重要なのではないか。この生活への敬意と理解は自分が手を動かした記憶と深いつながりがある気がする。これからさらにこの手をつかった記憶が薄い人ばかりになってくる。たとえば今介護を受ける側の人間は、今の老人だけど、今の若い人よりは生活への敬意を持っているのではないか。つまり思ったのは、これから先の時代、今の若い人が介護を受ける時代、さらに介護の中でのコミュニケーションが難しくなりはしないかという心配。
とりとめもないけど以上が感想。
ちなみに気に入ったワードは以下。
・感情を動かして仕事をしよう
・居場所が人を変える
どちらもこれはすごく共感できる。仕事は感情を動かしながらしたい。感謝したり、悔しがったり、悩んだり。感情が動く・感動することによって得るものは本当に大きいと思う。自分の考え方や世の中の見方が変わるのは感情にインパクトを受けた時だ。
あと「居場所」はあたしの感覚だと「環境」というのに近いけど、人間の性格、振る舞い、考え方は環境によってかなり変化すると感じている。生まれつきが2割、成長の過程での形成が4割、その時の環境が4割、っていうのが勝手なイメージ。多くの人に良い環境を与えることができれば肯定的な人間が増えると思う。
さて、以上。
結果思ったのは、理想は理想で常にイメージを持ちたいということと、なんとか構造的に、良い循環が生じる仕組みを考えたいということ。もう一つは、すぐに上手くいかなくても「理想論は無駄だ」と言われた時に「いや、無駄じゃない」と説明できるロジックがほしいということ。今、加藤さんの取り組みは、たぶん凄腕整体師みたいなもので、加藤さんの人間性という見えないスキルが成功の要因になっていて、他の人がやっても再現性がないかもしれない。加藤さんのような愛情深い人間の育成まで含めて、仕組みづくりが必要そうだ。まぁ何様か、という話ではあるが大切なことだと思ったので。あたしはすぐに自分自身が担い手になるわけじゃないけど、これらの疑問を頭の片隅において、毎日生活をして行こうと思う。
仕事のなかの曖昧な不安 読了
先日長野で読んだ信濃毎日新聞の記事がとても良かったので、以下の本を読んでみた。
古い本だがおもしろかった。記憶に残ったのは以下の記述。かなり意訳してるので文章は全然違います。ごめんなさい。
日本では責任の定義、多様性が不明確。自由についても同様。頑張れ以外に人を励ます、勇気づける言葉が少なすぎる。
松下幸之助が塾生を選ぶ基準は、愛嬌があり、運が強そうなこと。
がんばれ!以外に励ます言葉が無い、って言うのはいつも感じます。しっくり来ないときも他にないからがんばれって言っちゃう。うまくいきますように!とか、気楽に行こうぜ!みたいなのがあると便利かも。
あと愛嬌と運は本当に大切なんだろうと思う。もしくは自分は運が良いと思える性格か。そういう人はやはり魅力があるもんなぁ。
ちなみに、 若者の就業機会が脅かされているというのが本書の大前提の状況認識。当時の状況分析では高齢者の就業機会の堅持が若者から機会を奪うことに直結してるとのこと。言われてみればそいう文脈で言われていたことがあったような。今はどうなんだろう。きっとそれだけが理由ではないよね。生産コストは常に最小化されるから、正社員が減るのは当然だ。
その中で一つの対案として自営を推奨している。なるほど。転職に際して、身近な知り合いでなく、少し遠い知り合いに信頼出来る人が居たかどうかが満足感の高い転職の率と有意な相関があるらしい。これは別の本でも似たことが言われていた。
この本ですね。
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これも、自分の仕事をつくり変化する世の中に対応するためには浅くて広い人脈が意味を持つ、とあった。fbで活発な人とか見てると確かにイメージ出来る。意識してみよう。
ちなみに転職についてさらに書かれていたこと。前職で20年異常勤続した40前後の人の独立開業が最も成功率が高いとのこと。なおかつ前職が中小企業だと良いという。あたしも中小企業の商社だけど、なんだかんだ言って広い経験の機会を得ているのだろうか。
なんかのブログで、明日会社を辞めるとして、何の仕事を立ち上げるかたまに本気で考えてみては?という記事があった。これは試してみると良さそう。自分の力が実感できそう。
だらだら余計な事を書きましたが、とりあえず、著者の良さは優しくて誠実なこと。
高校生に給料を聞かれたとき、自分が給料に見合う仕事をしていると誇りを持って言えなかったのを後悔している。大切なのは大人が誠実に情報を公開すること。
そうなりたいとの記述。同感。さらにそうあり続けたい。これは難しいことだ。
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