海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

まず不倫という呼び名がよくないのではないか

心底どうでもいいけど、世の中は不倫の話題でいつだってもちきりである。

 

そもそも思うに、不倫とは恋愛結婚時代の申し子なのであって、恋愛の結果としての結婚を素晴らしいとする世の中では、恋愛は当然、心変わりを伴うもので、その結果、結婚の関係が揺らぐことは裏表で起き得ることなのではないか。

 

その点、世論の変化は片手落ちであり、恋愛結婚は素晴らしいけど、不倫は倫理にもとるという、いいとこ取りの潔癖を無自覚に信じ込んでいる。

 

最近気づいたけれど、不倫という呼び名がまずよくないのではないか。あまりに感傷的で野次馬心を刺激する呼び名だ。もっと事務的な名前をつけた方がいい。

 

だってそもそも、不倫はなぜいけないのだろう。もちろんあたしは別に不倫を推奨したいわけではいけど、不倫については中傷する側の人がとくに目的をもたなくても堂々としていられることに違和感を感じる。

 

いけないとされる理由としてあたしが思いつくのは大きく三点。

1 パートナーがかわいそうだから

2 契約違反だから

3 子どもが(いる場合)かわいそうだから

 

1については、当然気持ちとしては分かる。かわいそうすぎる。自分なら嫌すぎる。ゆるせん。悲しい。しかし、大の大人がやることに対し、こんな理由で第三者が責め立てるのは違和感がある。完全に二人(ともう一人?)の問題であり、事情も知らない赤の他人がどうこう言うことではない。(まぁたいていのゴシップはそういう質のものだが)

 

2については、間違いなく悪いことだ。だって不倫しません、ということで結婚したんだから。しかし、ここがポイントならもっと事務的に対処すべきであると思う。言ってしまえば法廷に任せる話であって、便乗して他人がダメ出しすることにあまり意味はない。

例外は議員など仕事上の主張と矛盾する振る舞いがある場合。この時はそれが不倫だろうとなんだろうと責任や見解を問われるのは当然だ。

 

3については、一番重要な点だと思う。最も直接的な影響をうけるのは子どもだ。けど、ここを問題にするのであれば、もはや半分は社会の問題だと言えないか。恋愛結婚社会は、シングルでの子育て、子連れでの再婚が当たり前にできる社会であるべきなのではないか。実情はよく知らないけど、江戸時代のような?キューバのような?

 

つまり、別れることが不幸や、不幸的イメージにつながらない社会ならば、そもそも問題が生まれないのではないか。もちろんそのためには 、社会保障も世論も色々変わる必要があるし、簡単ではないと思うけど。

 

まぁ、いずれにしても、個人の倫理観をたたくだけのことに公共の電波や人々の思考が浪費されるのがもったいない。何が問題なのかに合わせて、もっと建設的な話ができればいいと思う。 

 

そのためにはまず「不倫」という、個人的で、しっとりした影のある呼び名をあらためて、批判する人が感情的にならずに話せるような事務的な呼び名にするのが良いのではないか。よい呼び名はないものか。どうだろうか。