大豆、お米収穫。感想を。
今年は田んぼと小さな大豆畑を借りていました。今日は大豆の収穫をしました。
なんかまだ完熟?しきっていなかったので、ちゃんと乾燥して味噌が作れるか心配です。
まぁとりあえず感じたことを書いてみます。
お米はすでに精米まで出来て、先日食べました。甘くて美味しい。味噌汁との組み合わせはいつでも最強です。完全無欠。写真は悪いけど笑
大豆は千葉県の小糸在来という品種ですが枝豆はもう食べて、これもふっくらして甘くて本当に美味しい!
お米も大豆もそうだけど、今回は完全自然栽培で作りました。農薬も肥料もゼロ。つまり植えただけです。もちろんお米は草取りをしましたが、大豆はほぼ放置。埋めただけ。
なのに、こんなに十分な食べ物ができるなんて。正直驚きました。品種改良の歴史もきっとすごいのだと思います。原種とは大違いでしょう。しかしそうだとしても、植物が自分で育つ力って本当にすごい。水と太陽で食料ができる。光合成ってすごすぎます。
そして当たり前なのかもしれないけど、5月に植えて、梅雨があり、草取りをし、夏の暑さと日光があり、秋に実り、乾燥させて冬に備える、この気候と日本の風土と完全に合うリズムでお米も大豆も出来ていく様子に、なんかしみじみと、豊かで良くできているなぁと関心して少し感動しました。
また都内の庭で育てた大豆は、地植えしたものは双葉の段階ですべてダンゴムシにたかられて食べられ、またプランターのモノはひ弱でちゃんと育ちませんでした。
千葉で育てた環境は虫もいるし、手入れもしないのにちゃんと育つ。バランスがすごく大切なんだと感じました。自然とそれに合わせて作られて来た人間の営みは、美しいくらい完璧なバランスで毎年続くものとしてできあがっている。なんか心身ともに、これで十分だなぁ。幸せだなぁ。と感じます。
続いていくことってのは、なんか人間に安心感を与える気がします。毎年繰り返しだとしても、意外とそこに発見があり充足感があるのではないかと思います。人間はもしかしたら欲張りじゃないのかもしれません。今の仕組みが人間を欲張りにさせてるのかも。
地球の環境はこれからどんどん変わると言われるし、すでに毎年、極端な気候現象を更新し続けています。あたしは今年やってみて田んぼを続けたいと思いました。だから、ただ同じ営みが続くように、せめてその環境が維持できるように。世界中の人達がみんな望んでることだと思います。やれることをやらなきゃと改めて思いました。
こんなに豊かな土地と文化があって、安心につながるのに、なくしちゃうなんてもったいない。
また作業が進んだり、考えが整理されたらまた、書きます。あと今読んでる苦海浄土って本がすごくよい。これもまた書きます。
ひとまず今日の感想だけ。
あとは単純に風景がきれい。
と言うか、人間は自分にあった風景をきれいと思うように出来てるはずなんじゃないかしら。
では。