海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

「仕事は楽しくてもつまらなくても続けていくと決めた」プロフェッショナル仕事の流儀 ミナペルホネン 皆川明を見て思ったこと

また録画してあった仕事の流儀を見た。

 

今回はデザイナーの皆川明さん。ミナペルホネンの代表の方が今回の主人公。

 

今回もすごいびっくりした。

 

彼は就職先がすんなり見つからず渡米。デザイン経験ゼロでたまたまファッションショーを手伝う経験をし、服飾を仕事とする事を決意。帰国後、専門学校に入る。不器用で人より一年長く通い、卒業後は生地メーカーで働きながら学び独立。自分のセンスでは縫製だけで勝負は無理と、生地から作ることをブランドの独自性にすると決める。午前中は魚屋、午後は生地屋でタダで働き、その代わりに自分の生地を作らせてもらう日々。睡眠を削って服を作る。そして服は売れない。売れるようになるまでにそんな下積み生活があったのだと。そしてそんな彼の作る服は今も流行に流されず長く着てもらうことを前提につくられている。

 

ちなみにミナペルホネンは雑誌で見て以前から知っていたけど、勝手に若手の女性デザイナーだと思いこんでいたから、それもびっくりした。それは余談。

 

そんな彼の言葉で衝撃を受けたのが以下のセリフ。彼の仕事に対する考え方について。

 楽しいとかつまらないとか、うまくいくとかいかないとかということで、この職業を捨てるつもりはないし、それによって自分の仕事をはかることもなく、とにかくいろんなことを飲み込みながらとにかく続けるっていう思い…

なんかまだうまく消化できていないけれど、これには不意打ちみたいな衝撃をうけた。仕事に関する文章や言葉って世の中に無限とあるけれど、そのほとんどは、うまくいくことといかないこと、楽しいことと楽しめないこと、これに関する記事だと思う。

 

そのどちらとも関係ないのか!

なおかつそれで自分の仕事をはかることもしない。それはどういうことだろう。

 

どういうことか全然わからないのだけど、何故かすごく気になる言葉で、真理なのかも、と思ってしまう所がある。そう感じるのは何故だろうと考えてみた。

 

ひとつ、感覚的にしっくりくるのは、そもそも生きること自体はそういうことだな、という考え方。楽しくても楽しくなくても、うまくいってもいかなくても、それで自分をはかったところで仕方ないし、ただ続けるもの。それはネガティブな意味でなくて、この言葉を聞くと、ただ淡々とそういうものなのかもという気持ちになってくる。

 

もうひとつは、最近農作業をしていて感じること。もちろん楽しいし、どうせならうまくいかせたいけど、でも、多分本質は、つまらなくてもうまくいかなくても、それ自体が何か人生とセットのものとして続いていくような気がしてくる。そんな感覚。

 

ただ、一方、仕事のこととなると当たり前のように、いかにうまくやるか、いかに楽しむか、自分はこれでよい、悪い、とそう考えるものなんだと思ってきた。

 

でも、仕事が人生の一部ならば、皆川さんのような向き合い方って実はすごく本質的なのかもしれない。けど、このことを上司に話してみたら、その人は強い人なんだよ。普通はそんな風になれない。って言われた。なるほど。それは強さなのか。どうなんだろう。

 

けど、仕事や生き方を考える上でなんか超自然的な?目線をなんとなくイメージとして持てるようになったのは今後も引き続き悩んでいく私の立場からすると、なんだかありがたいことだったように思う。

 

これからももやもやと、このことを頭の片隅に置いておこう。

 

あとはオマケ。

他にもステキなセリフがあったので備忘に記載しておく。

 

思う方向に向かいたいと思いながら、思ってるうちはできそうもないジレンマ。パッとひらける瞬間がある。思ってないと瞬間もない。思っているうちはその瞬間ではない。もやもやしてる。

これはあたしでも何となく分かる。頭で考えて目指してるうちはまだ遠くて、ある時ふと達成されることはある。それでも目指してなければたどり着くこともない。これを信じてこれからももやもやしよう。

 

そしてプロフェッショナルとは?

使命と夢が両方携えられている。それは自分の人生の持ち時間を越えるくらいのもの。その時は諦めのスイッチは切ってしまう。

なるほどー。人生の時間を越えるくらいの使命と夢。やっぱり強い人なんだろうな。そして諦めのスイッチは切る!彼はなんか曖昧な表情で控え目に話すけど、なんかかっこいいな、と思った次第。

 

以上です。