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海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

プロフェッショナル仕事の流儀 介護福祉施設経営者 加藤忠相を見て思ったこと

録画しておいた番組を今見た。

プロフェッショナル仕事の流儀。毎週録画してあって時間があるときにちょいちょい見ている。今回は介護福祉施設の経営者。加藤さんという人が主人公。

 

結論から言うと素晴らしい内容だった。なんだか感動して涙が出てしまったし、見てよかったと思う。とにかく、加藤さんが愛情深くて。素敵な人だなぁと思った。

 

しかし一方で、まだ迷走しているあたしにとっては疑問に思うこともたくさんあった。クソまじめな暑苦しい話だけど、気持ちがあるうちに書いてみよう。

 

以下疑問と気になったこととそう思った背景。

 

①権利について

・全ての人は自分の思うとおりに生きる資格を持っているのか

・全ての人に愛される資格はあるか(尾崎みたいだが笑)

・愛する側の人間は努力してでもそう振る舞うべきなのか。それは誰なのか。

・プロとしてではなく、家族として同じことができるか。できる条件は。

・介護される側は、介護する人に敬意を持つことができるか。

 

加藤さんの施設では利用者のしたいことに徹底的に協力するスタンスをとっている。これは認知症患者に対しては安心できる場所で楽しい思いをしてもらうことそのものが本質的ケアだとするから。しかし、通常は人の希望は叶わないことも多い。もちろん、加藤さんは”通常の生活においては叶えられるはずの希望が叶えられないこと”を指して課題と認識しているはずだから、この指摘は的外れかもしれないが日々一件一件の事例を考えるときっと悩ましい線引きばかりなんじゃないかなぁ。

 

また、本人の希望に寄り添うべき人間は誰なのか。家族なのか、介護士なのか、接点を持つすべての人間なのか。しかし認知症じゃない人もみんなそれぞれ自分なりも課題や不安や不満を抱えている。どれほどの人がここまで徹底して他人を受け入れられるか。いろんな要素が絡むだろうし、対応する側の育成?と支援が必要なのだろう。あたし自身は誰かがそうなった時、どう振る舞うことができるだろう・・・。

 

他方、介護される側がする側に対して敬意を持つことも重要だと思う。あたしの祖母は介護施設に入っているがサービス利用者としての権利意識がとても強い。まぁこの施設は利用者と家族を顧客ととらえていると思うから、お互い様の関係性の中でそうなっていると思うけれども。(ちなみに施設の姿勢を問題だと思っているわけでは全くない。普通の、当然の認識だと思う。)やはり敬意は両方向にないと、介護する側にどんなに気持ちがあっても、辛くなってしまいそう。

 

②資本主義経済と理想との関係

・一人ひとりを丁寧に幸せにしていくことは仕事として成立するか。

 または成立する条件は?(誰がお金払う?orお金以外の相互メリット?)

・一人ひとりを丁寧に幸せにしていく仕事は社会全体のプラスとなるか。

 またはプラスとなるための条件は。

 

次に思ったのは、このような丁寧なケアは理想だと感じたけれど仕事として成立するのかということ。ここまで丁寧なケアを維持しようとするとお金がかかりすぎるのではないか。どうなっているのだろう。

 

あとは、老人の一人ひとりの時間を本当に満たされたものにしていくことは日本の優先順位の中でどのように位置づけられるべきなんだろう。当然みんな幸せが理想だけど。たとえば、子供の貧困は最重要課題だ、というのはわかりやすい。子供は未来だから。けど今の日本の人口構成で、非常に長い寿命を持ったわれわれ人間の、生産段階ではない時間はどのようにあるべきなんだろう。消費だけなのか、消費を介して幸せな時間を得るのか、それは権利なのか。逆にどのような条件がそろうと、世の中にとって最大メリットを生むだろう。たとえば、「認知症利用者もできることをやり、生産を担い、経済に参加する」や「数の多い老人が少しずつ仕事を担い、数少ない子供たちの支援につなげる」など?

 

③体を使って生きることについて

・手続き記憶(体に染みついた作業などの記憶)は衰えにくいとのこと。

 体を使って生きることの意味は現代社会が想定するより広そうだ。

 現代社会で生活の中で体を使うことをどう評価するか。

・介護される側が介護者に敬意を持つことは、生活それ自体

 (生活を構成するあらゆる作業)への敬意が無いとできないのではないか。

 

もう一つは全然別の視点だけど、体をつかって生活することについて。現代の私たちの生活では、体を使うシーンがどんどん減っていっている。農作業しない、自炊しない、洋服縫わない、道具作らない、掃除しない、全部お金か機械がカバーしてくれる。そうやって毎日生きた結果、記憶を呼び戻してくれる手作業って何が残っているだろう。人間は自分たちのことをよく知らないけど、体の担う役割は思っている以上に、頭に対しても心に対しても大きいのではないかと思う。

 

あとこれはすでに書いたこととも関連するけど、介護される人が介護してくれる人に対して敬意を払うためには、介護の中身、つまり生活を構成するあらゆる作業、料理、食事、掃除、お風呂、トイレなど、健常者は無意識で行うような作業一つ一つに対して敬意と理解をもっていることが重要なのではないか。この生活への敬意と理解は自分が手を動かした記憶と深いつながりがある気がする。これからさらにこの手をつかった記憶が薄い人ばかりになってくる。たとえば今介護を受ける側の人間は、今の老人だけど、今の若い人よりは生活への敬意を持っているのではないか。つまり思ったのは、これから先の時代、今の若い人が介護を受ける時代、さらに介護の中でのコミュニケーションが難しくなりはしないかという心配。

 

とりとめもないけど以上が感想。

ちなみに気に入ったワードは以下。

・感情を動かして仕事をしよう

・居場所が人を変える

 

どちらもこれはすごく共感できる。仕事は感情を動かしながらしたい。感謝したり、悔しがったり、悩んだり。感情が動く・感動することによって得るものは本当に大きいと思う。自分の考え方や世の中の見方が変わるのは感情にインパクトを受けた時だ。

 

あと「居場所」はあたしの感覚だと「環境」というのに近いけど、人間の性格、振る舞い、考え方は環境によってかなり変化すると感じている。生まれつきが2割、成長の過程での形成が4割、その時の環境が4割、っていうのが勝手なイメージ。多くの人に良い環境を与えることができれば肯定的な人間が増えると思う。

 

 

さて、以上。

結果思ったのは、理想は理想で常にイメージを持ちたいということと、なんとか構造的に、良い循環が生じる仕組みを考えたいということ。もう一つは、すぐに上手くいかなくても「理想論は無駄だ」と言われた時に「いや、無駄じゃない」と説明できるロジックがほしいということ。今、加藤さんの取り組みは、たぶん凄腕整体師みたいなもので、加藤さんの人間性という見えないスキルが成功の要因になっていて、他の人がやっても再現性がないかもしれない。加藤さんのような愛情深い人間の育成まで含めて、仕組みづくりが必要そうだ。まぁ何様か、という話ではあるが大切なことだと思ったので。あたしはすぐに自分自身が担い手になるわけじゃないけど、これらの疑問を頭の片隅において、毎日生活をして行こうと思う。