海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

長野訪問と希望について

今日明日はひとりぶらりと長野出張。
松本に入りレンタで安曇野上田東御とぐるぐる営業訪問。明日も一日中ぐるぐるまわる。
昼間はしっかり働きましたが、5:30には仕事が終わったのでちょっくら別所温泉に行ってきました。

大師湯と石湯を訪問。どちらも公衆浴場というのか?150円で地元の人ばかりでした。ちっちゃくて、脱衣場と風呂場のみのシンプルな施設。大らかな雰囲気のおばちゃんが番台に座っています。お湯は少し熱めで最高に気持ち良い!!こんなところが近所にあったら最高だよなぁ。ちなみに石湯はネットで調べても場所があまり出てこないけど、大師湯のもう少し奥です。行く機会ある人は是非。

別所温泉の町の北向観音のお寺さんでは運良く今日は町内会の?盆踊りらしく、やぐらを組んで太鼓を叩いて人が集まりはじめていました。なんか提灯の明かりと、スピーカーからの割れた音と、まばらな人かげと、ぬるい風と、大きな石灯籠と、ノスタルジーの結晶のような空間でなんか自分だけが別世界から迷い込んだような変な錯覚に襲われました。

ちなみに日が落ちる前の最後の光にあたって黄緑に光る田んぼと水色が残る空と山並みの影は、うまく言えないほどきれいで完璧な風景に思われてなぜか分からないけどすごく感動しました。

また今日は誰かのTwitterで、特攻隊がかつて乗った回天の写真をはじめて見ました。もうそれは乗り物では無かった。なんかショックでうまい言葉が全く出てきませんでした。こんな物にどんな気持ちで乗り込んのだろう。

なんか今日は重めのファンタジーを見たような、なんだか打たれた一日でしたが、最後にホテル近くの定食屋で生ビール飲みながら読んだ信州毎日新聞の記事がまた衝撃的ですごくよい本日のまとめとなりました。

その記事は希望学玄田有史さんの文章でした。その文章によると過去の新聞記事を調査して「希望」という単語と最も関連強く使われた単語は「水俣」だったということです。これにはかなり驚いきました。彼曰くつまり希望とは、内から溢れる夢なのではなく、意識して苦しくても立ち向かう時に現れるものなのだと言うことです。なんと言うことだろう。

日本の地方を営業で回ると、色んな役所に人工減少対策室といったような部署があります。実際レンタカーで走りながら、将来この風景はどう変わっているのだろうと思うことがよくあります。

しかしもちろん奮闘するたくさんの人たちが居ます。課題があって、悩んで立ち向かうことが希望なら、どうせならもっと楽しく強く、よいと思うことを思うままに実行することが大事だと感じました。そして自分は何をするか、とにかく希望を持って日々の生活を悩みながら精一杯過ごしたいと思った一日でした。

なんか少し関係ないけどブルーハーツの言う「全ての罪はみんなで分けまょう」という歌詞をふと思い出しました。たまに思い出す好きな歌詞です。

それでは、おやすみなさーい。