海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

役所の庁舎が好きだ。ただ思うことを好き勝手書く。

仕事で役所まわりの営業をしている。

そういえばあたしは役所の庁舎が好きだ。

特に好みは古い庁舎。これまで写真とかちゃんと残してなかったんだけど、古い庁舎はその時の技術とデザインをこらして、威厳と文化の気配ただよう建物が多い。そして材質としてタイルを活用している建物が多く、おそらく特注タイルも多いのではないか。これがなかなか味わい深い。

 

格安スマホにしてからあまりに写真がキレイじゃないからとってなかったけど、今回はいくつかとってみた。てか携帯かえようかな。

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これは佐久市の階段室。床のタイルがかわいい。1階の文字はシルバーで年季が入ってまろい光沢が良い味を出していた。ちょっとデザインしてあるのが手すりのところに縦に装飾されているステンレス?の棒。これは上層階までつづいていてわりとシンプルな階段室のアクセントになっている。まぁ好みかってとそうでもないけど、もうひとつなんかしよう、っていう感じは嫌いじゃない。

 

ちなみに佐久市はエレベーター前の階数表示がわりとパンチあって好きだった。

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これです。

役所ですよ。どうなんだろうか、以前役所を建てるときには「文化的施設」という自己認識だったんだろうか。わりと美術品があったりデザインに個性が強い建物が多い。まぁこれは中でも攻め気味だと思うけど。

 

けど、ここまでビビットじゃなくてもロビーに大きなレリーフがある役所はすごく多い。佐久市も例にもれずレリーフが。

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なにかこういう美術品とか文化的な要素というのをガツンと配置した役所がすごく多い。なんか役所っぽすぎてみんなスルーしてるけど、このサイズのレリーフあらためて見るとなかなかインパクトあるよ。そしてデザインの統一感がないことも役所建築の魅力。さっきのエレベーターホールと共通のコンセプトがあるとはとても思えない。混沌として盛り込みすぎでノスタルジック。そしてスルーされている。すてき。

 

ちなみに役所デザインの中でも一番好きなのは階段室。

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これは中野市の階段室。手すりは木で良い感じに年季が入っている。壁は大理石?とタイルで手の込んだつくり。天井が曲線になっているのも個性。

 

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これは上田市の階段室。

青い床がきれい。手すりは写真に写っているのは紺に黄色のライン。なぜか1階から2階の間の手すりはラインなしの黄緑一色。そういう、何でそうなった的要素も含めかわいく感じてしまう。

上田市は外観もなかなかイカツくて悪くない。無骨はコンクリ打ちっぱなしの格子と事務的デザインのタイルの組み合わせ。威厳があってなかなかいい感じ。できた当初は打ちっ放しのコンクリの大きな格子はなかなかイケてたのではないか。

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ちなみに今回古めの庁舎をピックアップしたけど、今どんどんと古い庁舎は取り壊され新しくなっていっている。耐震のこともあるんだと思うけどさみしいもんだ。

 

新しい庁舎もまぁおもしろいんだけど、過去のものと比べてコンセプトの変化が大きくて、マジでびっくりする。総じて新しい庁舎は美術品系の装飾は徹底的に抑え気味で、広い空間、白い壁、ってのがルール。たぶん、主役は住民です、建物は人が行き来しコミュニケーションをとる場、器にすぎないんです、みたいなプレゼンがされたのだろうと思われる空間。

 

ちなみにデザインの方向性は大きく分けると二種類あって、クールな無機質系か、あたたかみのある木質系。ひろい空間と白い壁にどっちかの要素で他の機能が加えられている感じ。有名な建築家がやったものも大くくりにはこのどちらかの感じがする。

 

そして残念なのはサインシステムが、だいたい同じようなデザインになっていて、ユニバーサルデザインとかの観点では良いのかもしれないけど、とにかく面白くない。どこのメーカーなんだろう。

 

しかし、ここまで書いてみて、役所庁舎のデザインということだけど、背景にある役所の自己認識・役所に求められる態度というのが世の中的に変わったのだろうな。あとは世の中全体の価値観も。

 

まぁそんな考察は無視して、今後は役所の写真を撮りためるつもりです。なんなら完全主観の自治体役所庁舎データベース的なことになっていったらおもしろいな。

 

とりあえず、携帯iphoneにしようかな。

以上。

【読了】裏山の奇人 野にたゆたう博物学

これはすごく面白かった!
こないだもフライングで書いたけど、あらためて感想を。
 
これを読んで一番強く驚いたのは、「生き物の密度ってすごい」ってこと。もう隙間無く、ありとあらゆる関係を結んでぎっしり詰まっているイメージ。何気ない風景をそんな風に見たことこれまでなかった。
 
著者は好蟻性生物の研究者。読むまでは好蟻性生物って存在をそもそも知らなかった。まずひとくちに蟻と言っても、その種類はすごく多くてすごく多様。その蟻に対して、本当にありとあらゆる種類の昆虫、クモ、鳥、植物などなどが強い関係を持って生きている。お互いに利用しあったり、一方的に奪ったり様々だけど、その関係を最大限活用するために自分を変えて進化してきた生き物たち。その専門性と多様性にまずびっくり。
 
そしてそんな生き物同士が密接に関わり合って、日本のふとしした日常の足元や裏山でもものすごい複雑なやりとりを繰り広げていること!いやぁ、知らなかった!
 
むかし、あるNPOの活動に参加する機会があって言われて印象的だったこと。ビオトープに関する話だったんだけど、生き物の居場所が無いから作ってあげる、という目線で見るのはもったいない。驚くべきことは、ちょっとでも活用できる環境があれば、すかさず生き物が訪れることのすごさ。そのしたたかさと柔軟さ。それがすごいと思わないか、と。その時は本当にそうだ!って目からウロコだったけど、今回本を読んであらためて思った。生き物はそれくらい強くて、充満しているんだ。
 
ちなみにこの本でも書かれていたけど、既存の生態系が充実していて、生き物が充満していれば外来種は入らないとのこと。入る隙間がないから。隙間を作ってしまったことが問題を具体化させてしまったようだ。なるほど。
 
話は戻るけど、風景を見たときに持っていた密度の認識が間違っていたんだと知った。見えないものは無いように思っていたら全くちがった。自分が見てないだけでそこにはぎっしりと生き物同士のやり取りがある。さらにこれを細菌まで広げると世界に隙間は全く無いのかも。風景の認識ががらっと変わるよ。
 
あと時間の長さ。あんなに複雑な共生関係のための進化には長い時間がかかる。あらためて自然の時間軸の長さを感じる。なおかつ、その中でハイペースに繰り返される世代交代。変わらず永続しているように見えて、常に壊したハナから作って、死んで生まれて、進化して、を絶え間なく繰り返している。一瞬も止まらない。自然界に対してもっとそういう流動的な大きなイメージを持つのが正しいのかも。
 
もうひとつ、ついでに思ったのは、今都会では人間が優先種だけど、常に競争にさらされているんだなぁ、ということ。人口が減って人が老いたら他の生き物が押し寄せてくる。そうやってうねっているのものなんだ。持続可能って言われるけど、持続性が高いことと永続的なことはまた別で、この世界に可逆的なものや永続的なものはない。時間軸は一方向にしか進まないし常に世界は変わり続けている。
 
なんか大げさだけど、ふとそんな視点を得た本でした。あと、著者がめっぽういいヤツで、普通に文章おもしろいし、彼の自然に対する姿勢、学問に対する姿勢もとてもステキだ。ぜひ話の続きを聞いてみたい。
 
こういう学問がちゃんと評価され、大切にされるといいなぁ。子供ごころを思い出した最近のターニングポイント的な本でした。自分のわくわくする気持ちをもっと大切にしよっと。

最近は料理が楽しい

どうってことない話だけど、最近料理が楽しい。

もともと食べるのが大好き。過去食べて最高においしかったものを思い出す時と、おいしい野菜の食べ方を想像する時は確実に幸せな気分になれる。

 

なのに社会人になってから、忙しいのを言い訳にろくに料理をしてこなかった。いよいよいい年になってきて、思うように料理もできないのは嫌だなと思って最近はなるべく料理をするようにしている。

ルールは、リベンジ以外はなるべく同じものは作らないこと。レパートリーを増やすのが目的なので。なので焼いたり煮たり蒸したりをなるべくまんべんなく使うことと、初めての食材にトライすること、を積極的にしている。

 

最近、初めて使ったのは干しシイタケ。いつも横目に見つつ、かといってすごく食べたいってわけでもなく見送っていたけど、実は以前別れた彼氏に「今の彼女は干しシイタケを活用するほど料理上手」って言われたのが地味に引っかかっていて、無視できない食材だった。今回満を持して使ってみたら、おいしい!ただそれだけで煮てもおいしいし、他の料理に使ってもいつもとひと味違ってこれまたおいしい。

 

うん。やればできるものである。

そんなことも含めてだけど、自分で料理して食べるってのは改めていいことづくめだ。まずお金がかからない。料理上手になるのが目的だから、基本加工品はそんなに買わない。そうすると材料費だけだからてきめん安い。これは大きい。その上、徐々にスキルが高くなる。さらに、できることが増えることで自己肯定感も高くなる。なおかつ保存料とか添加物が入らないから健康にもよい。野菜の割合をめちゃくちゃ多くできる。そして何よりおいしい。別に料理上手じゃなくてもちゃんと材料を買ってただ焼くだけで十分おいしい。

 

すばらしい。

まぁあんまりストイックにやると仕事で忙しいときとか萎えちゃうから、そいういう時は無理しないけど、これからもなるべく料理しよう。

 

最近はever noteに作ってみたい料理をメモするようにしている。週末はその中から季節や気分に合うものを選ぶ。もうその時間だけでもちょっと楽しい。今年こそは続けて、料理上手になるぞ!

【読書】裏山の奇人  本を読むことの楽しさを思い出した。

本を読むって楽しい。

今日しみじみとそう思った。読んでいたのはこの本。

 

裏山の奇人: 野にたゆたう博物学 (フィールドの生物学)

裏山の奇人: 野にたゆたう博物学 (フィールドの生物学)

 

 まだ読み終わってないし、感想は改めて書くかもしれないけど、とにかくテンションあがったので勢いで書いてみようと思う。

 

近頃はfacebook上のみんなのシェアするニュースとか、新しい情報がどんどん入ってくるのをただ受けとめるのに精いっぱいだったし、本を読んでも仕事に関する本とか雑誌とか、もっと知らなきゃと思って、頑張って読んでいることが多かったような気がする。まぁ嫌いな仕事じゃないから読んでるときは楽しいし、なるほどー!とか勉強になるなーとか思うんだけど、やっぱり「頑張らなきゃ」っていう思いそのもののせいで、少し疲れちゃっていたような気がする。

 

今年にはいって、もともと好きだった自然科学系の本を少し意識的に読んでみようと思って何冊か読んでいたんだけど、なんか今日急に、あーそうだこれだ、楽しいわ!っていう思いに至った。

 

今やってることと何にも関係ないし、知ったところで、何かにすぐ使えるわけでも自慢になるわけでもないけど、知ることそのものがなんかすごくわくわくして、明るく前向きになるようなそんな感覚。昔、ファーブル昆虫記読んだりシートン動物記読んだりした時の、気が付くと一生懸命その情景を想像して、もっと知りたい!って思ってしまっているような感覚。

 

これだ。本の面白さは。

そしてあたし何でか知らないけどやっぱり植物や動物のこと好きなんだ。

何年振りに再確認。

 

あと改めて思うけど、本って一人で向き合えるからいい。人の目線を気にせず人と比較せず一人で没入する感じ。SNSって、ニュースの共有元の人とか自分のシェア内容のこととか、あたしそんなに気にする方ではないけど、それでも無意識に人の存在を感じてる。これが地味にストレスになる。一方、本は自由だ。最高に心地いい。

 

テレビと違って自分のペースで読み進められるし、マンガと違って絵がないからイメージを自分で作らなきゃいけないし、その分だけ自分が受け身じゃなくて対話的に積極的になる。なんかこの積極的になること、ってのがすっごく大事な気がする。全然わかんないけど、積極的になってるときの脳ってなんか積極的な物質が出ててるんじゃないだろうか。きっとそのせいで読み終わった時もなんか楽しいような自己肯定的な気分が残るんだと思う。(てきとうだけど)

 

なんか最近自分に対して、なんでこんなにいろんなことへの興味がわいてこないんだろう、なんでもっと夢中になれないんだろう、って思って軽く悩んでいたけど、なんかこうやって物事を知ることにわくわくできる自分がいて少し安心した。

 

勢い、興味のある本を図書館でいくつか借りてしまった。ああ、読むのが楽しみだ・・。人と会うのも楽しいけど、最近はインプットが多すぎたわ。人と比較して焦ってた。少し一人で本でも読んで、時間をつかって好きなこと考えて、楽しい気持ちを思い出そう。

 

裏山の奇人の人、きっと同世代なんだと思うけど、だからこそ身近なフィールドが舞台になっていて、そんな身近なところで繰り広げられている世界を、全く知らなかったことに驚いたし、なんか感動した。たぶんマジで変なヤツなんだと思うけど、なんだかその一直線なスタイルに今回は救われた。ありがとうと言いたい!

 

今度、田んぼに行ったらもっと虫とかよく見てみよう。オケラの話とか思い出しながら。あー田んぼも楽しみになってきた笑。

プロフェッショナル仕事の流儀 豆腐職人 山下さん

今回のはすっごく良かったー!

こちら

www.nhk.or.jp

「目の前の仕事に向き合うこと、追及すること」が本当に夢中に、誠実にされていてその熱量に感動してしまった。

 

凝固剤での豆腐作りを行う日々を死んだような心持で働いていた山下さん。にがりで作る豆腐と出会ってガラッと変わる。おいしい、そしてシンプルなのに難しい。それからの日々はにがりで作る豆腐についての研究と試作の日々。今できているものにも満足せず、日本中、いろんな研究所から大豆を取り寄せては自分で栽培し、豆腐を作る。日々の温度や大豆の出来、状態によって豆腐のでき方が全く違う。それを見極め、数秒の作業に全神経を注いでベストな豆腐を目指す。その一瞬の緊張が楽しくてたまらないのだそう。

「まだ先がある」というその気持ちが自分を生き生きさせてくれる

にがりの絹を作ることが自分を救ってくれた

夢中になれるものに夢中で取り組む姿勢は本当にかっこいい。そしてそういう仕事はたまたま与えられたのではなくて、自分で気が付いて、選んで、突き詰めたからこそなんだと思う。誰でも何かに打ち込んでいられる時に満足感・幸福感を感じると思うけど、そんなものにたまたま出会えた人は幸運で、そうでない場合は悩んで探して考えた先にそういうテーマが見つかることがあるんだなぁと思った。

 

ちょうど私も自分のテーマにしたいものを探しているところで日々悩むけど、もっと悩める、もっと考えられるって思わせられた。

 

あと、こないだ後輩に、一つのことを繰り返す仕事をやれる人はすごいですよね、なんで飽きないんだろう。って言われた。本当にそう思う。質を高めることに集中できる人はすごいと思う。でも今回この山下さんの話を見て改めて気づいたことは、質を高める努力ができることの前提として「質の違いがわかること」っていうのがすごく重要だということ。その繊細な質の違いが分かるくらいに集中して、深く仕事のことを知っていかないと、質の差が感じられないと、極めようがない。そう思うと、やっぱり今、日々やっている仕事の中で質をちゃんと意識することって大切だと思う。

 

営業の仕事でも、売るべきものの中身、資料の内容、交渉の仕方、本来どうあるべきで、今回どうだったのか、理想的な対応はなんだったんだろうとか。とりあえず乗り切れたからいいや、ではなくてベストは何だったのか、を毎回考えること。これはこれまで以上に意識したい。

 

そういうベストを尽くすことを日々続けるからこそ、本気になるし、緊張するし、悔しかったり楽しかったりするんだと思う。最近は一通りの仕事はできるようになったから、ボーっとすると特に新しい挑戦をせずに過ごしてしまっている。でも山下さんみたいにいくつになっても、挑戦して、緊張して、楽しんでいられるのがステキだよな。

 

その年に収穫した豆で豆腐を作る瞬間のこと。

楽しみで緊張する瞬間だね

それは「襟を正さなければならない」っていうか 緊張するよね

もっともっとこういう感覚をもって働いていたいなぁ。

 老境になっても好奇心を持ち続けられること、自分の頭で考えてみるだとか、知らないことに興味を示せること、それを持ち続けられることが「生きている人生」なんだな

こうなれるように、アンテナと目を今から鍛えて、磨いておかないと。

天狗になるような環境は無い方がいい。最低限大豆を仕入れるだけの収入は必要だけど。

彼は稼ぎを増やしたいから熱心なわけではない。でもこれって逆に見れば生活をどんどん豪勢にしたいと思えば、売る量を増やさなきゃいけないし、研究に没頭する時間を作ることもできないかもしれない。仕事の理想って人それぞれだけど、生活の規模を大きくしすぎないで、稼ぎを増やすことを最優先にしないことで、選択できる仕事ってあるんだと思う。これも最近共感しているダウンシフトにつながる気がする。

 

山下さんにとってプロフェッショナルとは?

目標達して次の目標を持てる人

これはシンプル。そして今の私にもできる。そしてそうすることの延長に何かその人だけに特別な視点が人それぞれあるのでしょう。ごりごり人より上を目指さなくてもいいけど、自分なりには小さな挑戦を重ねて、自分なりの進み方をしていきたいなぁ。

 

以上。

そして是非、山下さんの豆腐を食べてみたいと思ったのでした。

 

 

【読書感想】失われた我々の内なる細菌

すっごくおもしろい本だった!

これ。「失われゆく、我々の内なる細菌」

腸内細菌が自閉症と関係している、とか近頃細菌の話をちょいちょい聞くので興味を持って読んでみることにした。

 

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌

 

 

ざくっと言うと、ピロリ菌を主な研究対象にして人間と細菌の関係を研究している人の書いた本で、人間と細菌の共生関係の複雑さは今わかり始めたばかりだから、抗生物質などで不用意に殺してしまうことのリスクをもう少し意識した方がいいかも、っていう本。

 

その話の過程で事例として紹介される、人間と細菌の共生関係の複雑さと面白さ!一人の人間を取り巻く細菌叢ははマイクロバイオームと呼ばれて、3歳ころまでに決定され大人になっても維持されるそうで、このマイクロバイオームというものがどれほど人間個人に影響を及ぼしているかという話。

 

細菌は何十億年も昔、人間が現れるはるか昔から地球上に存在し、また現在においても地球上の生物種の数でいえばその大半が細菌である。量的にはたとえば海洋生物量の50~90%が細菌だそうだ。

 

人間の体にも多くの細菌が住んでいる。重量にして1.3キロ、細胞数で言えば人間自身の細胞の数の3倍にもなる。例えば大腸では内容物の1ミリリットルに地球上の全人口よりも多くの細菌が住んでいる。この数にも驚きなのだけど、この本で本当に驚いたのは、細菌が人間の体に住んでいる、という時に、私は住まわしている、という感覚を無自覚に持っていたのだけど、そうではないということ。人間にとって必須な機能のかなり多くを細菌が担っていて、細菌なしには生きられないほど、相互に依存的な関係にあるということ。

 

例えば胃がんの原因言われるピロリ菌は、確かに胃がん発生とは関係があるのだけど、一方で食道がんの発生やぜんそくや花粉症などのアレルギー反応には抑制的な働きをしている可能性があったり。また妊婦さんが栄養吸収量が増えて体重が増えるのも人間自身の出したホルモンだけじゃなく、腸内細菌の影響がありそうだったり。

 

つまり細菌も宿主が死んでしまうと困るし、世代が途切れると困るからあらゆる方法で人間の生命と種を維持するように活動している。人間は彼らを活用して生きている。

 

この本を読むと、健康というのは私自身が私だと思っている体だけじゃなく、まったく意識していなかった私に独特の細菌集団まで含めて、それらが健康であってはじめて私の健康なんだと思えてくる。

 

そこで抗生物質の問題が出てくる。抗生物質はもちろん人間を守ることにものすごく大きく寄与してきた。けど人間は細菌のことをまだほとんど知らないから、むやみに使って殺すことで、どんな弊害が出るかも当然まだ知らない。

 

アレルギーや生活習慣病の増加の背景にも現代人が抗生物質により細菌を失ったことが影響している可能性があるらしい。さらには最近の日本人の子供たちが親より大きいことは日ごろ実感するけれど、これも幼少期に抗生物質によって細菌叢が攪乱を受けたことの結果である可能性すらあるそうだ。まぁこれについては良いか悪いかは不明。ただ関連がありそうらしい。まじかー!と思った。最近の子供たち足長いし、背も高いもん。なんでだろうと思っていた。まぁ他にも複数の原因があるのかもしれないけど。

 

つくづく。人間はこの世界のことをほんの一部しか知らないんだなぁと思う。宇宙のことも深海のことも知らないけど、人間のこの日々接している身の回りの世界のことも知らない。知らないことに対しては存在にすら気づかないからしょうがないのだけど、知ってるものを過信せず、知らないものがあるかもしれないって思うことは本当に重要だと思う。

 

そして本当にこの自然の世界ってよくできている。すっごく複雑に影響し合って、絶妙のバランスでその瞬間の状況を保っている。「生物と無生物のあいだ」を読んだときも思い知ったけど自然界って常にたくさんの生き物のせめぎ合いで刻一刻と状況を変えながら、常に壊して作ってという作業を全瞬間で続けることで、たまたまその瞬間にその姿を現しているんだなぁと今回も改めて思った。それは人間が理解できる情報量をはるかにこえた複雑さなんだと思う。

 

でも個人的には、それでも人間も動物だから、学術的にこのことを解明できなくても、身体的には少し理解できるんじゃないかと思う。これからはもっとそういう興味と感覚を持って、物を食べたり、自然の中で過ごしたりしてみたいと思った。そして細菌のことをもっと知りたいと思った。こういう本を読んで知っていく中で、自分の中で世界に対する見方が変わっていくのは本当に面白い。

 

あー不思議だなぁ。今こうしている私の表面にもおなかの中にもたくさんの細菌がせめぎ合いなが生きているってこと。過剰に除菌ばっかりするのは良くないね。彼らのおかげで生きているのだから。そのことをもっと自覚して、良い関係を築いていきたいなぁ。いや、そうさせてください!

 

ちなみにこれ、以前よんだ本の記事。

m-patty.hatenablog.com

 

お花見に行って思うこと

お花見に行ってきた。

上野公園。毎年恒例で友達同士で集まるが、今年は珍しく満開のタイミングにばっちり。お花見客の数もすごかった。

 

お花見をしていて毎年思うこと。飲み屋で飲んでいてもそうなんだけど、他の人達のグループも楽しそう。酔っぱらって声が大きかったり、千鳥足だったり、あらあらと思うことはあるけれど、そうやって、会って飲みたくて、飲んでると楽しくなっちゃうような仲間がみんなに居ることはいいことだなぁと思って、なんだかほっこりする。

 

まぁあたし自身がお酒が好きで、大学のころはまぁまぁやんちゃに飲んでたこともあるから、つい楽しくなっちゃう気持ちはすごくわかる。毎年集まって桜を見ながら近況の話をしたりして、今や飲み方もすっかり落ち着いてしまったけど、少しくらい盛り上がりすぎでも楽しそうな人を見るのは嫌な気はしないなぁ。

 

人間観察もたのしい。海外からきて「お花見」の写真を撮っているひと、ナンパしてる若い子たち、カップル、会社の同僚、大学生。みんな思い思いに過ごす。その人間模様を見ているだけでもおもしろい。花を見たり見なかったり。おじさんたちの登山仲間グループからは、彼らが引き上げるタイミングで残っていたおつまみとお酒をおすそ分けにもらったり。普段あまり気軽に話しかけない知らない人同士の垣根が少し下がるのもお花見の魅力かも。

 

あとは人間、春が来るとうずうずして外に出たくなるよね。お花見だけは外で飲んでても冷ややかに見られない特別な日。外で飲むのは最高に気持ちいい。天気が良くて、日なただったら、ものすごく幸せで贅沢な気持ちになる。この瞬間、安全で、仲間がいて、心地よくて。缶ビールだけなのになんてステキなこと笑。

 

まぁそのためにはごみとか、場所取りとか、節度を持ってきちんと対応することは必須なのは大前提として。それでもこのお花見が、年とっても友達と続けられたらいいなぁと思う。

 

ところで、この時期街を歩くと桜が町じゅうに植わっていることに驚く。花が咲いてなければ気づきもしないのに。そんなソメイヨシノの寿命は50~60年らしい。日本全国の戦後に植えられた桜はどんどん寿命を迎えると思われる。今後もエリア計画をちゃんと立てて桜が見られる場所が維持されていくといいな。お花見が好きな私としては、募金とかお手伝いとかなんか必要ならやりたいと思うなぁ。この日本の幸せな風景が今後も続きますように!

 

ちなみに、せっかく行ったのに写真は撮り忘れた。目に焼き付けたからいいのです。