海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

お花見に行って思うこと

お花見に行ってきた。

上野公園。毎年恒例で友達同士で集まるが、今年は珍しく満開のタイミングにばっちり。お花見客の数もすごかった。

 

お花見をしていて毎年思うこと。飲み屋で飲んでいてもそうなんだけど、他の人達のグループも楽しそう。酔っぱらって声が大きかったり、千鳥足だったり、あらあらと思うことはあるけれど、そうやって、会って飲みたくて、飲んでると楽しくなっちゃうような仲間がみんなに居ることはいいことだなぁと思って、なんだかほっこりする。

 

まぁあたし自身がお酒が好きで、大学のころはまぁまぁやんちゃに飲んでたこともあるから、つい楽しくなっちゃう気持ちはすごくわかる。毎年集まって桜を見ながら近況の話をしたりして、今や飲み方もすっかり落ち着いてしまったけど、少しくらい盛り上がりすぎでも楽しそうな人を見るのは嫌な気はしないなぁ。

 

人間観察もたのしい。海外からきて「お花見」の写真を撮っているひと、ナンパしてる若い子たち、カップル、会社の同僚、大学生。みんな思い思いに過ごす。その人間模様を見ているだけでもおもしろい。花を見たり見なかったり。おじさんたちの登山仲間グループからは、彼らが引き上げるタイミングで残っていたおつまみとお酒をおすそ分けにもらったり。普段あまり気軽に話しかけない知らない人同士の垣根が少し下がるのもお花見の魅力かも。

 

あとは人間、春が来るとうずうずして外に出たくなるよね。お花見だけは外で飲んでても冷ややかに見られない特別な日。外で飲むのは最高に気持ちいい。天気が良くて、日なただったら、ものすごく幸せで贅沢な気持ちになる。この瞬間、安全で、仲間がいて、心地よくて。缶ビールだけなのになんてステキなこと笑。

 

まぁそのためにはごみとか、場所取りとか、節度を持ってきちんと対応することは必須なのは大前提として。それでもこのお花見が、年とっても友達と続けられたらいいなぁと思う。

 

ところで、この時期街を歩くと桜が町じゅうに植わっていることに驚く。花が咲いてなければ気づきもしないのに。そんなソメイヨシノの寿命は50~60年らしい。日本全国の戦後に植えられた桜はどんどん寿命を迎えると思われる。今後もエリア計画をちゃんと立てて桜が見られる場所が維持されていくといいな。お花見が好きな私としては、募金とかお手伝いとかなんか必要ならやりたいと思うなぁ。この日本の幸せな風景が今後も続きますように!

 

ちなみに、せっかく行ったのに写真は撮り忘れた。目に焼き付けたからいいのです。

仕事をかかえちゃってる人をみて

本当にいまふと思ったことをだらだら書きます。今、目の前でタスクをふれずにパンパンになってる人と接する機会があって思ったこと。

 

仕事をふれない人ってマジメで責任感の強い人が多い。「こんな曖昧な状態じゃふれない」とか「こんな雑務みたいなこと人に頼むのは申し訳ない」とか「まわせていないのは自分の能力が足りないせいだ」とか。

 

もう、この時点でいいやつだと思う。不器用なんだけどマジメ。

 

そんな人に言いたいのは、手伝うから、どうなっちゃってるのかざっくばらんに相談してほしい、ということ。キレイにまとまってなくても、何をしなきゃいけないのかすら分かんなくなっちゃってても、一緒に考えましょう。そうやって、責任感もって頑張らなきゃ、って思っている人の一生懸命さは伝わっているはず。うまく伝わってなくても、頼ったら聞いてくれるはず。みんながそうじゃなくても、そういう人も絶対にいる。

 

忙しくなるのが嫌な人も世の中多いと思うけど、一方、素直に頼ってくれたらうれしいっていう人も多いと思う。頼む相手に敬意と心遣いをもっていさえすれば、分かった、手伝うよ、一緒にがんばろうって言ってくれる人はいると思う。

 

あまり抱え込まないように。無理しすぎないように。頭もぐちゃぐちゃで体も精一杯で、しんどいけど休んでるヒマもない、頼む準備なんてできない、ってなっちゃってる人は、誰かに泣きついて、ぐちゃぐちゃなので整理を手伝ってください、って言ってみてほしい。健康第一、自分を守ってあげてください。人に頼ってみてください。誰かはきっと見てくれているはずだと思うので。

 

同じ大変さでも、味方がいると思えれば少なくとも気持ちは少し楽になると思うし。最悪、もし同じ会社で頼れるひとがいなかったら、家族とか、友達とか、たまたま飲み屋で隣の席になった人とか、話だけでもしてみると少し楽になるかも。つぶれちゃう前に。ブルーハーツも言っているけど、世の中悪いひといるけどいい人もいる。たくさんの人間がいるから。

 

今日はシリアでは爆撃が始まった。色々な種類のつらい目に合っているひとが世の中たくさんいると思う。日本でも生きるのに精いっぱいで働いてる人がいる。なるべく多くの人が今日もよく眠れるように祈るばかり。

プロフェッショナル仕事の流儀 介護士 小山珠美

これを見た。
 
看護師の小山さん。食べる力を回復させるプロフェッショナル。
徹底的な情報収取と実践でノウハウの蓄積が凄い。そしてやっぱり心構えもかっこよかったので感想を。
 
一番印象に残ったのは次のセリフ。
 
「どうすれば出来るかを考える。出来ないことを並べ立てるのは私たちの任務から外れている。」
「できないと思わない。出来ると信じる。」
 
これ、改めて言われるとハッとするけど、ほとんどの人の仕事やもしかすると日常もこうなんじゃないか。できないことを並べ立てるのは任務ではない。できるために考える。本当にその通りだなぁと思う。けどこれを聞いてハッとするっていうことは、それだけ日常でできてないっていうこと。自分の仕事に置き換えてもそうだ。つい、「ちょっと厳しいよなぁ」「条件が違えばなぁ」とかそれらしい言い訳をつけて諦めてることっていっぱいある気がする。ここでどうしたらできるか、という立場で踏ん張れるっていうのはやはりすごいことなんだろうな。日常で意識しよう。
 
あとは人間てすごい!と思った箇所。
 
「口からの食事。唾液により免疫改善。味覚や視覚の刺激で脳が活発になる。」
「口からの食事が早ければ早いほど回復が早い。」
 
人間て、切って貼ってでは説明できないくらい複雑にできてるし、普段自覚していないあまりに当たり前な色々な刺激が実は自分を活性化したり生かしたりすることにすごく大きな影響を持っているんだなぁと再確認。口から食べられるから、健康で活発に生きて居やすいんだと知った。食事をもっと大切にしよう。やっぱり仕事の合間とか朝とか、とにかくカロリーになるものを大慌てで突っ込んで済ますことってあるけど、まぁそれも生きるために必要なんだけど、やっぱり食べることでいろんなセンサー刺激して色々感じたりしてるはずだから、もっと意識して食べよう。あと年とっても食べていけるように歯を大事にしよう笑。
 
あとよく言われることだけど、
 
「自分だったらどうしてほしいか。自分だったらどうかな、という感覚。自分とその患者さんを置き換える。」
 
これも、日常でおろそかにしがち。けど意外とけっこう多くの人は自分は出来てる、って思っているんじゃないだろうか。子供にも「されたら嫌なことはしちゃダメでしょ」とかみんな言うし。けどできていない場面てよくあると思う。クレーマーは最たるものだけど、そこまで行かなくても、仕事頼まれた時に嫌そうな表情したり(依頼の内容にもよるけど。それはやってほしいなっていうものでも)、会社のごみ箱にゆすいでいない缶捨てたり笑。あたしだったら後輩の話をちゃんと聞く前に「やっぱこういうところあるよな」って決めつけちゃったり。自分だったらどう言われたら受け入れられるか、ってのはもっと考えた方がいいな。
 
あと、知識としてへー!と思ったのは、
 
「唇を閉じて口の中の圧を上げる。その圧で飲み物を喉の奥に押し込んでいく」
 
ってこと。だから口が閉じていないとちゃんと飲み込まれないそうだ。そんなこと深く考えたことなかったけど、考えてないのに自動にできてるんだから動物の体ってよくできてる、ってまた思った。
 
ちなみにプロフェッショナルとは?
「自分の信念を人からの信頼に変えていくことが出来る人」
なるほどー。自分の信念だけだと人の役に立ったり影響与えたりできていないかもしれないし、信頼となって初めてプロフェッショナル。これも、すぐにも生かせそうな心構え。今回もかっこいい人でした。尊敬します。

仕事とお金について思ったこと

最近プレミアムフライデーとか、残業を減らそうとか働き方に関するトピックスが良くめにつくけど、この記事読んでほんとそうだよなぁと思った。
 
売れるものが無ければ効率も何もないという話。当たり前すぎて見落としてる感あるかも。
 
 
どんなに手を動かしても収益性の低い仕事の一部ならば生産性は上がらないし、会社が収益のあがるビジネスを作れていないということ。まぁ一部のベンチャーとか激務×成長となっているところもあるだろうけど、日本全体を見回すと、こういう稼げてないけど仕事が減らないシーンてけっこう多いのではないか。
 
まぁ一つ一つの会社を見ていくと課題とか戦略とか個別に考えないとダメなんだろうけど、日本って考えると、ほんとに何を売って生きていくの、って思うもんなぁ。TPPとかも詳しくないけど要は関税撤廃をはじめとする流通障壁の排除なんだと思うけど売るものがある人にとっては意味あるけど、売るものがない人にとっては売り込まれるだけの話だからなぁ。
 
ちょっと気になって日本の2020年の収支計画とかあるのかな、と調べてみたけど特に出てこなかった。あるのでしょうか。知ってる人教えてください。国の長期計画ってのもきっとあるんだよね。もっとみんなに見つけやすい形で出してほしいな。
 
長期計画をもっと国民みんなで考えたほうが良いのではないかと思う。本当にこれからも車を売っていくのだろうか。誰にどんな車を。そしてそれがあと何年続けられるのか。国産牛を売りに行くのも全く賛成だけどそれで何人が食べていけるのか。そういう中期的で量的な話をもっと知りたい。
 
政治の話も賛成・反対とあるけれど、まずもって長期的な計画がないとその方針に照らして正しい選択なのかどうか判断できない気もするし。
 
あと話変わるけど最近思うのは、課題があってもお金がないと商売にはならないということ。昔うちの会社の社長に課題があるところにはビジネスがある!って聞いて、たしかになーと思っていた。社長は今50代で元大手商社マン。世界中を飛び回ってビジネスをしていた。紛争地帯に行ってそこで必需品の手配をして重宝されたとか。それはそれですごいことだと思うけど、今の日本を前に課題=ビジネスって考えるとなんかそうはならない気がしてくる。たぶん解決の先に発展がある場合じゃないとこの理屈は成立しないのではないか。日本政府も投資先は海外だし。今の日本では課題に対応してもお金は減り方を緩やかにするだけで増えないもんな。一時しのぎにしかならない。
 
そうなってくると仕事をしていくにあたっては、海外やネット上含め発展の余地のある場所でビジネスをしていくか、国内で進めることはビジネスとは別の軸で考えていく、というふうになっていくんじゃないか。日本をお金で考えるかぎり、良くなり続ける仕組みが無いよな。お金を持っている人も若い人も減るし。別にネガティブばかりに思っているわけじゃなくて、友達や知り合いで感度の高い人はシフトし始めている気がする。地方移住とかフリーランスとか、大企業でたくさんのお金をもらって都心に家を買って、っていうモデルから、もっと等身大で、自分にとって意味のあることをして、必要な分だけ稼ぐ、そして現金をたくさん使う生活様式から離れる、っていうシフト。
 
そういう人たちは別に隠居するつもりでもないし、ネガティブでは全然なくて、現実的で未来志向だからこそ生き方を模索しているように見える。そういう人たちがつながりあってネットワークもでき始めている。先日愛媛に移住した先輩に会いに行ったけど、すごく明るくて前向きで刺激的だった。これはまた書こう。
 
もう一方は国境を気にせずバリバリ働いている人。日本以外を市場にすればまだまだ活気がある。発展の障害になっている課題もたくさんある。ネットの世界も同様だろうなぁ。
 
こういう風に考えてきて、自分はどうしようかと悩む。アイデアがないし。今の気持ちで言えば日本をフィールドにして次の生き方と仕事を引き続き模索したいなぁ。外国語もできないってのもあるし・・・。日本の土地と食事が好きだし。自分なりの方針をちゃんと持ってる人ってすごいと思う。あたしは去年から迷うばかりで進めていない気がするなぁ。色んな人と出会い、事例を知って少しづつ興味の方向性がクリアになってきてはいるかな。もう少し続けてみよう。

YUKIの歌詞が好きだ。ポイントは母性とフィジカルだと思う。

みんなにとってどうでもいいと思うけど、あたしはYUKIが好きだ。営業で車で遠出するときは大体いつもYUKI中島みゆきを熱唱または本気練習している。

 

www.yukiweb.net

 

YUKIが好きっていう時に、あたしはやっぱり歌詞がすごく好きなんだけど、歌詞の何がそんなに気に入るのかって考える。そうしていつも思うのは「母性」と「フィジカル」について。ちなみに、中島みゆき含め古めの歌が好きなのは人生をうたった歌詞が多いから。恋愛の歌もどこかに人生そのものの悲哀があって、しみじみしてしまう。それに引き替え最近の歌は恋愛一色すぎやしないか。歌にしたい心の動きって本当はもっと多様では、と思う。

 

まぁそれは良いとして、YUKIの歌詞について。

 

巷では女子力女子力って言ってネイルしたりサラダ取り分けたりしているけど、(それも全然良いことだけど!)YUKIみたいな母性を前にすると、ほんとそんなことどうでもいい、重要なのは愛情だ!って思えてくる。

 

例えば好きな歌詞

立ち上がれ 私がついてるわ

笑えないのは 雨のせいじゃないわ

生き残れ 遊びを続けよう

美しいのは 流す涙

   「スタンドアップシスター」

 もしくは

迷子のハートブレイカー出ておいで

今宵もスウィングさせてあげよう

昔話に花が咲き 前に進めないあなたも

悲しい気分は 吹き飛ばしたげる

このひととき忘れていいよ

  「AIR WAVE」

さらに

その手にもつもの 半分にしてあげよう

頭の中をきれいにしてあげよう

3番目でもいいのよ こわがらなくていいのよ

世界中の人があなたを憎んでも 亡くした人を想い泣く夜も

いつもそばにいるから 体ごと伝えてよ

  「ふるえて眠れ」

もう、恋愛感情を超えた愛情。これは彼氏や夫に向けられるものを超えて世の中の生きとし生けるものに対する保護したい欲、母性です。原作ナウシカ的な。

 

さらに上の歌詞もすでにそうだけど、母性がすごいフィジカルなものと表裏一体になってあふれてくる感じ。まさに「心と体はひとつだ」という感覚。からだは愛情表現に使えるもので、全身でうけとめて許して、守る、という強さのある愛情。

 

ジュディマリの時も好きだけど、母性の強さというか愛情の奥行きはYUKIになってからどんどん全面に出てきてる気がする。

 

実際自分もがっつり恋愛しているときって、守りたいっていう本能が強くなるのを感じるし、それがフィジカルな感覚と近いっていうのはすごく実感できる。母性もフィジカルも本能だと思う。その動物的な愛情表現が感覚的に自分の感情と一致しちゃって、ファンタジーで抽象的な歌詞なのにすごいリアルな感じがしてしまう。

 

あたし自身はよく男っぽいと言われる方だけど、こういう共感の瞬間にやっぱ女なんだなぁと思う。(まぁ感じ方は人それぞれで、性はグラデーションですから一概に言えないし、男の人や他人がどのように感じてるかは本当の意味では比較・確認できないので、あくまでも自分の体感です。)

 

もうひとつ思うのは、この場合のフィジカルな感じは性的な意味だけじゃなくて、もっと皮膚を通して世界と接していて心ごと世界に開かれていくようなそんな身体感覚。

たとえば

陽だまりのにおい 雨上がりの空

与えられたのなら 受けとめよう

しかられてみよう 愛されてみよう

心の底から 信じてみよう

  「歓びの種」

だったり

私はこのまま 信じてゆけるわ

愛の強さゆえ 優しき獣ゆえ

花咲く丘まで 口笛吹いていこう

喜びを抱いて 見果てぬ空の上

 「プリズム」

 

身体的な心地よさと愛情がごっちゃになって心もからだも世界にあふれ出していっちゃうようなそんな身体感覚。これが個人的にはめちゃくちゃ共感できる。たとえば、春で、もう風が気持ちよくて日向があったかくて大好きな気持ちが昂って、もう世界中にやさしい気持ちになっちゃうような。

 

って、そういえばこれ書こっかな、と思ったのはaikoの歌詞に関するブログ読んだからなんだが、aikoYUKIとはすごく対照的なイメージをもってる。aikoの恋愛は目の前の相手に、一緒にいる瞬間に、その一点にひたすら集中していく視覚的な愛情表現で、YUKIの愛情は空間的にも時間的にもひろがってあふれていっておおい尽くしてしまうような皮膚感覚的な愛情表現。

 

勝手な意見だが、どっちの歌詞にもめちゃくちゃ共感できる!って人は少ないのではないか・・・?良い悪いではなくタイプの違いだと思うけど、共存しないような気がする。そうでもないかしら。

 

まぁ色々勝手に言ってみたけど、YUKI本人がどう考えてるか知らないし、ライブも行ったことありません。もっとすごいファンの人、生意気言ってすみません。一度ライブ行ってみたいなー。

 

まぁそんなとこです。寝ます。

 

 

人間の第六感。あたしにある気がするけど証明しようがない。

数週間前に買っておいた銀杏をほったらかしてあったのだが、ふと思い出して炒ってみることにした。銀杏は子供のころ大嫌いだったが、最近はもっぱら好きで飲み屋で良く頼む。けど自分でやったことなかったのでためしに。

参考にしたのはこのレシピ。

cookpad.com

秤を出すのがめんどくさかったので、目分量でやってみたけど結構おいしくできた。けど、キレイに炒り上げること考えると塩は入れずに炒って、後でふった方がよいかも。

 

さて、それはさておき、炒った銀杏はおいしかったのだが、3粒くらい食べた時点でなんとなく違和感を覚える。とくに症状は何もないけどお腹なのか心なのかどこからともなく警戒心がわいてくる感じ。もしかして、銀杏て毒があったりするのかな・・・と、ふと思い調べてみるとやはり毒性が。

 

ギンナン|「食品衛生の窓」東京都福祉保健局

 

なんと!!

けど40粒以上食べないと一旦大丈夫そうである。そもそも気のせいだよなーと考えながら、続きを食べる。今回炒ったのは20粒くらい。安全ライン内だが、食べてる間からどんどんお腹に不穏な気配が。いろんなサイトによると発症は数時間以内とのことだが、今回は食べて30分もたたないうちにお腹がくだってしまった。アウトでした。

 

正直、今回のことが銀杏が原因なのか特定は出来ないけど、お腹の丈夫さに自信のあるあたしが、原因なしにこんなことになるとは考えにくい。

 

そこで思い出したのが以前海外でペットボトルの水を飲んでお腹をこわした時のこと。その時も一口を飲み込んだ時点で、あれ?これやばいかもしれない・・・とどこからともなく違和感がわいてきた。胃が急速に冷えて縮まるような感覚。そして結局悲惨なほどにお腹を壊した。当然水だから味がおかしいわけでもないし、自分でもなぜそう気が付いたのかわからない。

 

それ以来、海外で水を飲んだ時はほんの少しだけ飲んでみて、違和感を感じたら飲まないようにしている。実際、違和感を感じて一口でやめたときは軽傷で済んだ。

 

あたしのお腹の一体何が、何の情報をもとに警告を出しているんだろう・・・。お腹がくだるってことは壊れるのは腸なんだと思うけど、警告が出るタイミングはもっと早くて、どう考えても腸には行ってない段階。胃にそういう機能があるのだろうか・・・。誰か知っていたら教えてほしい。

 

タイトルに第六感とか書いたけど、ここまで書いてこれは第六感ではなくて、完全フィジカルな警告システムの話だと気づいた。胃の器官なのか、細菌なのか、いずれにしても六感ではないな。

 

ただ六感っぽいことで言えばもう一つある。あたしは睡眠がかなり深い方で一度寝たらいつもの目覚ましの時間までまず起きることはない。けど、不思議なのが地震の時。これは証明したくてできないんだけど、地震が来るときはたいてい、起きてるのと寝てるののはざまくらいに意識のある状態になっていて、暗いなぁ、目が覚めたなぁ、何時だろう、もう少し寝るかなぁ、とかぼんやり考えていると地震が来る。そうして、あ、またか、地震がくるから目が覚めたのか、と思う。

 

これはなんなんだろう。ナマズなんだろうか。それとも本当はもっと先に揺れ始めていて揺れたから起きたのだろうか。人に話すとそう言われる。けどそんな気が全然しない。起きた時はいつもまだ全然揺れていない。1~2分だろうか。少なくともそれくらいはもやもや意識があって、そのあとに揺れ始める。

 

どうでしょう。そういう人、他にも居ませんか。

これがあると毎回、これって第六感なのかも、動物は先に気づいて逃げたりするっていうもんな。あたしはほんの1分前で逃げようもないけど、人間の中にもわずかに野生が残っているのかも・・・なんてちょとしたロマンを感じるのです。ずっと前から気になってたんだけど、ふと銀杏のことで思い出したので書いてみた。

 

そういう人いたら、もしくはそういう仕組みに詳しいひといたら教えてください。

ダイアログインザダークに参加してきた。おススメです。

先日、ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベント?に参加してきた。面白かったのでご紹介です。
 
そもそも、ダイアログインザダークとは
 
参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、
暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドにより、中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、
コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさなどを思い出します。
 
1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれたダイアログ・イン・ザ・ダークは、これまで世界39カ国以上で開催され、800万人を超える人々が体験。何千人もの視覚障がい者のアテンド、ファシリテーターを雇用してきました。
日本では、1999年11月の初開催以降、現在は東京・外苑前の会場と、大阪「対話のある家」を中心に開催、これまで約19万人が体験しています。
 
出典:公式サイト http://www.dialoginthedark.com/
 
というもの。
今回参加したのは「一期一会」という企画で全員一人で申し込んだ人同士で暗闇を体験するというもの。なので当然みんな初めましてです。ぎこちない挨拶とあだ名の共有をしたうえでいざ暗闇へ。
 
本当の暗闇では顔のすぐ前にかざした自分の手も見えず、これは何分経っても目が慣れても見えないとのこと。本当に暗いです。何も見えませんでした。最初は自分の手が見えないことの違和感がすごくありました。見えるはずなのにおかしい、という違和感。
 
そんな中、最初は白杖を使って歩きます。普段視覚障害のある方がどうやって歩いているかを体験します。白杖でわかること、わかりにくいこと、使い方のコツ等を教えてもらいます。実際やってみると地面の質感、段差、壁の有無、など普段無意識に入ってきている情報を意識して採取する感覚が新鮮で、新たな感覚器官をもったような感じがします。と、同時に見えないということはこんなにも情報が制限されているのか!と驚きます。
 
そこからは白杖を置いて、参加者協力し合って進みます。全体工程は1時間半程度。進む中で不思議に印象的だったことが三つ。
 
一つは、進むうちに初めて会った知らない人に対する抵抗がどんどんなくなっていくこと。もちろんこんなのに来る人だから悪人ではないでしょうが、それ以上に暗闇では相手の属性がよくわからないので、かえってフラットに接することになります。相手はどんな人か、どう思っているか、偉い人か、気の合う人か、服装が気に入らない、など普段本当に無自覚にいろいろ相手に色をつけてみているということに気づきます。入る前はちょっと気が強そうで苦手かも、と思った人とも声だけでやり取りをして協力して進むと、あれ、気にすることなかったな、とかむしろ、さっきのはどの声の人だっけ、とかうやむやになって気にならなくなっていきます。目からの情報に振り回されていることを普段から意識したほうが良いかもしれません。
 
もう一つは、長くいるとだんだん暗闇が暖かい場所に思えてくること。相手のことを見えないのと同じように、相手からも自分のことが見えません。そうすると途中から何となくリラックスしてきます。表情や服装やその他、評価につながってしまいそうな色んなものが相手から見られないとなると、妙な安心感、居心地の良さが出てくるのです。そして心が落ち着いてきます。普段は入ってくる情報も多すぎるし、人からの見え方とか気にしていることも多すぎるんだなぁとしみじみ思いました。本来の自分ってどんなんだっけ。そんなに強がる必要あるんだっけ。もしかしたら生き物はお腹の中にいたときの経験で真っ暗には意外と馴染みがあるのかもしれないな、と思ってみたり。あ、けどちょっと矛盾しているかもだけど独りぼっちで安全の保障がなかったり、出れる見込みが立たなかったらマジで怖いと思います。
 
最後に、目の不自由な人ってすっごいっていうことです。もちろん会場のコースを熟知しているというのもありますが、そんなレベルじゃありません。暗闇の中とは思えないほどなんでもできます。あたしなんてすぐに方向もわからなくなりました。その中でコースを確実に進み、お茶をついで出してくれたり、お皿を片づけたり、本当に見えてないの??っていう精度で作業を進めていきます。私は持っていない、何か別の鋭い感覚を持っているようです。その彼が、暗闇から出た時に机までの距離を少し誤っていたり、本当に見えないんだ、と再確認して軽く信じられないくらい驚きました。人間の能力は本当に表面だけではわからないし、自分が知らないだけで様々な能力を人間は身に着けることができるんだと知りました。
 
そんなこんなで、前評判を焼き直しただけの体験談になりますが、実際体験して確認したことは私にとって重要だったと思います。結構新鮮な体験ができるのでもしご興味あればぜひ。
 
 
去年行った雲取山。山ではいつも朝になると止まってた世界が動き出すような感覚になります。ダイアログインザダークの暗闇の中も、なんか時間が止まっているような感覚だったかも。

f:id:m-patty:20170207234129j:plain