海はあちらですか

読んだ本のこと、仕事のこと、ふと思ったことを思うままに書いてみたいと思います。自分の記録と整理のために。

NHK 巨龍中国 14億人の消費革命を見て

先週末NHKスペシャルを見た。

中国で急激に巨大化するネット通販 市場の状況とその中で一攫千金を狙って奮闘する若者たちの様子を追ったドキュメンタリー。こちら。

www6.nhk.or.jp

 

見た感想をいくつか。

ひとつは、まず日ごろ日本で生活をしていると、世界における人口の増加も、発展するというアジア諸国の勢いも、とにかく「これから感」というものを感じることがあまりなく、(爆買いや外国人旅行者によってか、あるいは仕事の関係で海外の人とのやり取りがある場合は感じることもあるけど、自分の世界の一部として強く実感することはあまりない気がする・・・)これから消費が伸びるぞ!というその気配自体を再認識してなるほどなぁと思った。農村部の消費拡大がその勢いの背景だ。

 

もう一つは、起業した若者たちの奮闘の様子が単純に刺激になった。仕事の中身も違うし、考え方も同じじゃないけど、自分と家族を食べさせるために自分にできるベストの努力を自己責任で引き受ける様子にはすごいなぁと思った。少しあこがれる。やっぱり私も何か自分の責任で取り組んでみたい気持ちがあるんだなぁ。過剰労働は反対だけど、自営業はかっこいいと思う、という意味で。

 

あとは、日本もそうだけど過剰サービス化による企業への負担の増加。番組で紹介された事例でも返品、クレーム示談金などルール的にOKなこともNGなことも含めて、とにかく客からの要望が強い。粗利率の低いビジネスでは耐えられない。まぁ薄利多売以外の工夫をして対抗しましょうは正論だけど、それ以上に過剰サービスが当たり前になること自体がすごくよくないなぁと感じた。

 

日本でも通販の物流量の増加で運送会社の人員不足が続いているし、年末はかなりニュースにもなっていたけれど。実際、たまにアマゾンで買い物してすごく思うのは、そんなに急いでないのに最短という選択肢が優先表示されるのが嫌だなぁということ。たぶん急いでいない人もかなり多くが最短を選んでいると思う。速さが売りなのはわかるけどなんか物流業界の首を絞めるようなことを何も積極的にしなくても・・・。また最短にしてしまうと、複数注文したものがバラバラにそれぞれの最短で届いたりする。輸送コストも梱包も全部もったいない。

 

働き方改革だ、ブラックやめよう、ってみんな言うけど、やっぱり消費するひとりひとりが「過剰サービスはなくてもいいや」って思わないと、この過剰になっていく流れ、みんなが過剰に働く流れを変えられない気がする。

 

というわけで、個人的には店舗でものを買うようにしようと思ってます。そうすれば宅配よりは包装も輸送も負担がすくなくて済むし。もちろん店舗構える分、値段が高いこともあるけど、でもそれが正当な費用なら払ったほうがいいと思うし、それならいらない、っていうものはたぶん買わなくてもいいものなんだと思うから。本当にほしいものだけを、正しくお金を払って買って、長く使う、っていう言い古されたことだけど、この便利な時代に実践するのって意外と難しいのかも。

 

あ、人間関係も何もかもそうかもしれないけど、やっぱりありがたいと思うことが重要かも。過剰なサービスも最初はみんな驚いてありがたがるけど、いずれ当たり前になってできないとクレームになって。で、お互い求めるレベルが上がっていく。

 

そういえば実は先日型落ちで店に在庫なかったものをAmazonで買ったけど、家にいたのに呼び鈴に気づかず再配達にしてしまいました。ごめんなさい。こういうことからまず気を付けないといけないとね。以後、気を付けます。

納豆を作ってみた話

お味噌をつくるときに合わせて納豆も作ってみました。

 

今回初めて知ったのですが、納豆菌は稲わらに住んでいるため、特に菌を入れなくても藁にくるんでおくと納豆になるとのこと。半信半疑ですがやってみることにしました。

 

作る工程はこちらのブログを参考にしました。ヨーグルト用の機械で作るパターン。写真もきれいだし、なんだかおいしそうです。

 

大豆と藁だけで納豆を作る - Peaceful Cuisine

 

まずは田んぼで稲刈りの時に刈ってとっておいた藁を出してきて洗います。洗った藁は熱湯で消毒。我が家には大豆を今まさにゆでている鍋以外に大きい鍋がなかったため、藁を煮て消毒するのはあきらめ、熱湯をかけてみることに。ブログでは蒸していますね。ちなみに納豆菌はすごく強いので100度にしても死なないとのこと。かっこいいです。

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写真は熱湯をかけた藁。完全にただのワラです。

消毒が十分か自信はありませんでしたがとりあえず良しとして茹で上がって熱いままの大豆をくるんでみました。藁の束を半分に折って、折った側を藁でしばり二つ折りの状態にします。その二つ折りの間にゆでた大豆をのせて、反対側を縛ってなんとなく大豆をくるむことが出来ました。

 

また我が家にはヨーグルトメーカーもなかったので保温は発泡スチロールの箱を使うことに。箱の中に熱湯を入れた水筒を一緒に入れておいておくことにしました。まずは一日一回熱湯を入れ替えて温度を保つようにし3日程度おいてみました。途中であけてみたところ、びしょびしょのままだった藁がなんとなくあったかくなっている状態が何とも不安になる様子だったので、藁から出してお皿の状態でもう3日ほど保温しました。

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できた納豆です。

匂いは納豆の匂いで、確かに表面がねっとりとして糸を引いています。ただ、本当にこれは納豆なのか、腐っているわけではないのか・・・すごい不安になります。ためしに食べてみましたが・・。味は食べれないこともないですがなぜか苦かったです。何がいけなかったのか。そして普段売られている納豆のような濃い茶色にはなりませんでした。何が違うんだろう。

 

しかし我が家は誰もおなかをこわさなかったし、たぶん悪い状態ではなかったんだろうと思います。ただ苦かった・・・。これも来年またリベンジですね。つぎはもう少し清潔感のある方法を考えてみます。それだけでメンタル的なハードルがかなり違うと思うので。

 

まぁとりあえず楽しかったので良しとします。

 

 

味噌をつくってみた話

せっかく大豆をそだてたので、お味噌を作ってみる。
 
大豆は先ず枝から切り落とし十分乾燥させる。さやから取り出す。この作業もわりと大変。あたしは量が少なかったから手で一つずつ取り出した。
 

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なお、この状態の大豆を犬が食べたがって、邪魔されながらの作業だった。
黒いのは丹波の黒豆、大豆は千葉の在来種の小糸在来という品種。
 
3メートル四方くらいの畑で425グラム。年間分にしようと思うとまだまだ大豆が足りないなぁ。今回は植え方が浅かったせいか、発芽前に鳥に食べられたようで発芽しなかったものも多かったから、次は気を付けよう。
 
大豆を水に戻して茹でる。戻し時間は16時間程度。ゆで時間はかたさを見ながら。今回は一時間半くらいかな?白い灰汁がどんどん出てくるのでこれをとりながら。なお今回は収穫した大豆を全部茹でてしまうという大失態をおかしました。来年植える種を失うとは完全に農民失格である。もう二度と同じ過ちはおかしません。
 
好みのやわらかさになったら茹でた大豆をマッシャーでひたすらつぶす。粒が残っているお味噌が好きなのでほどほどのところで作業終了。20分くらいかかったかな?
 
ここで麹と塩を投入。我が家のレシピでは大豆:麹:塩が5:5:2です。

 

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今回使った麹は石川県白山市の木村屋さんの麹。

母親がいくつかの麹蔵のを試す中で気に入っているもの。もともと母が石川出身で叔母に頼んで送ってもらったらとてもきれいな麹だったとのこと。余談ですが麹と塩を手で混ぜる作業はすごく気持ちいいです。

 

混ぜた大豆は空気が入らないようにジップロックに入れるか、甕に入れるかなどして麹菌が味噌をつくるのを待ちます。我が家は通常2か月くらいおいたら食べ始めてしまいます。若い味噌は色も白っぽくて大豆の味がはっきりします。さっぱりしていて私は若い味噌のほうが好みです。

 

では出来上がるのを楽しみに待ってみます。

あけましておめでとうございます。今年の抱負など。

あけましておめでとうございます。

 

年末、飲みに行ったお店で4名ほどのブロガーの集いに遭遇しました。印象に残ったのはそれぞれとても楽しそうにブログの話をしていること。収益化している人もいれば、これから取り組む人もいましたが総じて発信すること自体を楽しんでいるように見えました。

 

そんな彼らに少し影響を受け。今年はもう少しマメに取り組もうかな、と思いつつ、正月休みに書く記事は4日にしてこれが初めてになります。PCが書きやすいけど、起動が遅いし、もう少し環境のハードル下げたいな・・とか思ったり。

 

それはさておき、昨年の振り返りと今年の抱負を簡単に。

まず、昨年は大きなイベントこそなかったものの、視野がすごく外に向いた一年でした。ブログをまず初めてみたのもそんな気持ちを背景にしていましたし。中でも大きく影響をうけたのは読書と田んぼでした。ひとつは、読後の感想を記事にはしていませんでしたが「減速して生きる ダウンシフターズ」という本。

 

それまでは、仕事が好きだったこともあり(今も好きですが)生活が仕事中心になることに抵抗を感じていませんでした。しかし本を読むことをきっかけに、どんな風に生きたいだろう、一生にどれくらいお金を使うんだろう、仕事に何を求めるんだろう、と考え始めることが出来ました。その結果、田んぼを始めてみたり、NPOに参加し始めてみたり。実際、外の世界に目を向けてみると、自分の意志と判断でやりたいことをどんどんやっているたくさんの人達がいました。そういった出会いを経て、私自身も「私はこういうことをやっている者です」と自己紹介できるような自分なりのテーマを持ちたいと思うようになりました。かつ、可能であれば今の仕事とでのテーマを重ねていきたいです。

 

もう一方、田んぼを始めたこと。昔からやりたいと思いつつ機会を作らずに来ました。やってみて思うことは「これからもずっとやりたい」ということ。私は食べることが大好きです。おいしいものを自分の手で作ることの楽しさと、食べ物を自分で作っているという地に足のついた安心感。まぁ今年はお金をつぎ込んだので本末転倒にも見えますが、そういう収支の話ではなく本能的に安心感を感じる気がします。これはいずれ収支も見合う形を作ってなんとか続けていきたいです。

 

抱負とは言いませんが、今考えていることをもう一つ。最近、自分が自然科学が好きだったことを思い出し、また再確認しています。今興味があるのは細菌の世界と気候変動。もともとマニアックになれない体質が若干コンプレックスですが、好きなことなんだしめんどくさがらずに積極的に情報収集していきたいです。

 

以上。

まぁ1年前と今、振り返れば自分の考え方も環境も大きく変わった気がします。1年てあっという間ですが、人生をガラッと変えるには十分な時間であるようにも感じます。さて来年の今頃は何を考えているでしょうか。楽しみにしながら今年を初めて見たいと思います。

 

今年もよろしくお願いいたします。

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写真は実家の大掃除で出てきた鉱物標本。小学校の時に誕生日にもらったもの。昔から自然科学が好きだったなぁと再確認。きれいにして部屋に飾ろうと思う。

 

大豆、お米収穫。感想を。

今年は田んぼと小さな大豆畑を借りていました。今日は大豆の収穫をしました。

 

なんかまだ完熟?しきっていなかったので、ちゃんと乾燥して味噌が作れるか心配です。

 

まぁとりあえず感じたことを書いてみます。

 

お米はすでに精米まで出来て、先日食べました。甘くて美味しい。味噌汁との組み合わせはいつでも最強です。完全無欠。写真は悪いけど笑


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大豆は千葉県の小糸在来という品種ですが枝豆はもう食べて、これもふっくらして甘くて本当に美味しい!


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お米も大豆もそうだけど、今回は完全自然栽培で作りました。農薬も肥料もゼロ。つまり植えただけです。もちろんお米は草取りをしましたが、大豆はほぼ放置。埋めただけ。

 

なのに、こんなに十分な食べ物ができるなんて。正直驚きました。品種改良の歴史もきっとすごいのだと思います。原種とは大違いでしょう。しかしそうだとしても、植物が自分で育つ力って本当にすごい。水と太陽で食料ができる。光合成ってすごすぎます。

 

そして当たり前なのかもしれないけど、5月に植えて、梅雨があり、草取りをし、夏の暑さと日光があり、秋に実り、乾燥させて冬に備える、この気候と日本の風土と完全に合うリズムでお米も大豆も出来ていく様子に、なんかしみじみと、豊かで良くできているなぁと関心して少し感動しました。

 

また都内の庭で育てた大豆は、地植えしたものは双葉の段階ですべてダンゴムシにたかられて食べられ、またプランターのモノはひ弱でちゃんと育ちませんでした。

 

千葉で育てた環境は虫もいるし、手入れもしないのにちゃんと育つ。バランスがすごく大切なんだと感じました。自然とそれに合わせて作られて来た人間の営みは、美しいくらい完璧なバランスで毎年続くものとしてできあがっている。なんか心身ともに、これで十分だなぁ。幸せだなぁ。と感じます。

 

続いていくことってのは、なんか人間に安心感を与える気がします。毎年繰り返しだとしても、意外とそこに発見があり充足感があるのではないかと思います。人間はもしかしたら欲張りじゃないのかもしれません。今の仕組みが人間を欲張りにさせてるのかも。

 

地球の環境はこれからどんどん変わると言われるし、すでに毎年、極端な気候現象を更新し続けています。あたしは今年やってみて田んぼを続けたいと思いました。だから、ただ同じ営みが続くように、せめてその環境が維持できるように。世界中の人達がみんな望んでることだと思います。やれることをやらなきゃと改めて思いました。

 

こんなに豊かな土地と文化があって、安心につながるのに、なくしちゃうなんてもったいない。

 

また作業が進んだり、考えが整理されたらまた、書きます。あと今読んでる苦海浄土って本がすごくよい。これもまた書きます。

 

ひとまず今日の感想だけ。


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あとは単純に風景がきれい。

と言うか、人間は自分にあった風景をきれいと思うように出来てるはずなんじゃないかしら。

 

では。

cognitive nightというのに行ってきた感想。(素人としての)

先日IBMのCognitive Nightっていうのに行ってきた。

これ。

eventdots.jp

内容はIBMのWatsonでどんなことができるでしょう?っていうことで、Watsonの概要と事例紹介に始まり、実際に使用例を考えてみよう!っていうワークショップで終わる構成だった。

 

私自身はど素人でコグニティブについて1ミリも知らずに参加したが、分かったのは以下のようなこと。

 

そもそもコグニティブとは非構造化データ(つまり自然言語や音声や画像などのこれまでシステム的にデータ処理できなかった情報)が処理可能になることと、機械学習の組み合わせ、ってことらしい。ということは、世の中のあらゆる情報が処理可能になるってことで、学習の質と幅が無限って言えるほどすごくなるっていうこと。

 

で、何ができるかっていうと、特定の個人のSNSの履歴を対象に、その他膨大な過去データと照合して、その人がどんな性格かを数値化できて、人事評価や採用のミスマッチを劇的に減らせる、とか、保険の支払査定で、これまで経験豊富な社員した判断できなかったような難しい判断が過去の膨大な事例をあたって機械で処理できるとか、とにかく色々で、これとIoTとかビッグデータとか同時進行することで、今想像できないことがどんどん実現していくらしい。

 

なるほどー。

日本ではまだ公開されている事例は限られているけれど、どうやらすでに始まっているし、目の前でどんどん進んでいく話のようだ。上で書いたような事例は以下でも紹介されている。

 

www.ibm.com

 

 

 

いくつか感想を。

 

まずこういう技術の進歩というものは止められないんだぁということをしみじみ感じた。たぶん仕事を奪われる人もいるだろうし、弊害はまだ誰にもすっきりとはわかっていない。けどわからないということで止めることはできないんだなぁ。

 

あと、仮に仕事が減って、生産性が上がってよかったね、ってなった時、人間は何をして過ごすんだろう。今以上に生きる意味を考えちゃうのではないか。余暇と自由を得て何をするんだろう。その時は生活は満たされているんだろうか。生産性があがることと末端まで豊かになることは、すでに今の世の中を見ていても関係ないしなぁ。

 

もう一つ、これは合わせてIBMの動画を見たことで感じた感想でもあるけど、コグニティブコンピューティングにより回答の選択肢を常に用意される世の中になったとして、コグニティブの相棒は利用者の好みも反映して選択肢を出してくれるらしいけれど、そうなってくると、自分自身の判断とか価値観、性格ってすごく曖昧になりそう。自分が選んだのか、機械が選んだのか、その選択の積み重ねてできた自分の価値観って、自分のものなのか。あと、失敗ってできなくなるのか。機械が勧めない選択肢を選ぶことって、きっと感覚的になかなかできないと思う。もうそうなると、どの決断が自分らしいものなのか、何が自分なのか分かんなくなりそう。その時、人間はどんな心理状態になるんだろう。幸せなのかなぁ。

 

別に新しい技術がすべて悪いとは思わない。正直、ワークショップも楽しかったし、未来のこと、新しいこと、知らないことに対してわくわくするのも人間の性質だと思う。けどなんかうまく言えないけど、個人にフォーカスして最適化してっていう話のはずなのに、どこかにすごい疎外感を感じた。これから、生き物としての私自身にとって、この技術はどんな関係性を提示してくるんだろう。

 

あと、これを進める立場というのは、本当に不思議で、誰のためにこれを進めているんだろう。効率化は間違いなく図れるし短期的には極端なコスト削減や収益増に寄与すると思う。その先のことは誰にもわからない。おもしろい。新しい。なんでもできてしまう、あなたは何をしますか。という主催者からの提示。なんでもできる、が結構リアルだからこそ、なんでもできる。という言葉のもつ何とも言えない凄み。

 

結果、刺激的で勉強になって、なんとも言えない気持ちになったセミナーでした笑。良くとらえれば、未来に一層興味が湧いた。ちょっと不安を伴う興味。知りながら、生きていきたいな。事後的にショックをうけないように。そしてできることなら、技術に飲まれず、技術を使い、共存できる意志と能力のある人間であることで、新しい変化を前向きにとらえられれば理想的。自分に限らずどれほどそんな人間がいるのか不明だが・・・。ちなみにIBM的には人材確保のためのアピールを兼ねたものだったぽい。そのためにはかなり良い手段だったのではないかと感じるけど、どうだったのでしょうか。誰か優秀な参加者は使う側に回ったのでしょうか。

 

上で書いた動画はこちら。

www.ibm.com

 

まぁここらへんの話は過去紹介したこの本なんかとつながってくる話ですね。

 

m-patty.hatenablog.com

 

まぁそんなこんなで時代の転換点をうっすら感じることの多い今日この頃です。

来年、田んぼどうするかなー。

 

「仕事は楽しくてもつまらなくても続けていくと決めた」プロフェッショナル仕事の流儀 ミナペルホネン 皆川明を見て思ったこと

また録画してあった仕事の流儀を見た。

 

今回はデザイナーの皆川明さん。ミナペルホネンの代表の方が今回の主人公。

 

今回もすごいびっくりした。

 

彼は就職先がすんなり見つからず渡米。デザイン経験ゼロでたまたまファッションショーを手伝う経験をし、服飾を仕事とする事を決意。帰国後、専門学校に入る。不器用で人より一年長く通い、卒業後は生地メーカーで働きながら学び独立。自分のセンスでは縫製だけで勝負は無理と、生地から作ることをブランドの独自性にすると決める。午前中は魚屋、午後は生地屋でタダで働き、その代わりに自分の生地を作らせてもらう日々。睡眠を削って服を作る。そして服は売れない。売れるようになるまでにそんな下積み生活があったのだと。そしてそんな彼の作る服は今も流行に流されず長く着てもらうことを前提につくられている。

 

ちなみにミナペルホネンは雑誌で見て以前から知っていたけど、勝手に若手の女性デザイナーだと思いこんでいたから、それもびっくりした。それは余談。

 

そんな彼の言葉で衝撃を受けたのが以下のセリフ。彼の仕事に対する考え方について。

 楽しいとかつまらないとか、うまくいくとかいかないとかということで、この職業を捨てるつもりはないし、それによって自分の仕事をはかることもなく、とにかくいろんなことを飲み込みながらとにかく続けるっていう思い…

なんかまだうまく消化できていないけれど、これには不意打ちみたいな衝撃をうけた。仕事に関する文章や言葉って世の中に無限とあるけれど、そのほとんどは、うまくいくことといかないこと、楽しいことと楽しめないこと、これに関する記事だと思う。

 

そのどちらとも関係ないのか!

なおかつそれで自分の仕事をはかることもしない。それはどういうことだろう。

 

どういうことか全然わからないのだけど、何故かすごく気になる言葉で、真理なのかも、と思ってしまう所がある。そう感じるのは何故だろうと考えてみた。

 

ひとつ、感覚的にしっくりくるのは、そもそも生きること自体はそういうことだな、という考え方。楽しくても楽しくなくても、うまくいってもいかなくても、それで自分をはかったところで仕方ないし、ただ続けるもの。それはネガティブな意味でなくて、この言葉を聞くと、ただ淡々とそういうものなのかもという気持ちになってくる。

 

もうひとつは、最近農作業をしていて感じること。もちろん楽しいし、どうせならうまくいかせたいけど、でも、多分本質は、つまらなくてもうまくいかなくても、それ自体が何か人生とセットのものとして続いていくような気がしてくる。そんな感覚。

 

ただ、一方、仕事のこととなると当たり前のように、いかにうまくやるか、いかに楽しむか、自分はこれでよい、悪い、とそう考えるものなんだと思ってきた。

 

でも、仕事が人生の一部ならば、皆川さんのような向き合い方って実はすごく本質的なのかもしれない。けど、このことを上司に話してみたら、その人は強い人なんだよ。普通はそんな風になれない。って言われた。なるほど。それは強さなのか。どうなんだろう。

 

けど、仕事や生き方を考える上でなんか超自然的な?目線をなんとなくイメージとして持てるようになったのは今後も引き続き悩んでいく私の立場からすると、なんだかありがたいことだったように思う。

 

これからももやもやと、このことを頭の片隅に置いておこう。

 

あとはオマケ。

他にもステキなセリフがあったので備忘に記載しておく。

 

思う方向に向かいたいと思いながら、思ってるうちはできそうもないジレンマ。パッとひらける瞬間がある。思ってないと瞬間もない。思っているうちはその瞬間ではない。もやもやしてる。

これはあたしでも何となく分かる。頭で考えて目指してるうちはまだ遠くて、ある時ふと達成されることはある。それでも目指してなければたどり着くこともない。これを信じてこれからももやもやしよう。

 

そしてプロフェッショナルとは?

使命と夢が両方携えられている。それは自分の人生の持ち時間を越えるくらいのもの。その時は諦めのスイッチは切ってしまう。

なるほどー。人生の時間を越えるくらいの使命と夢。やっぱり強い人なんだろうな。そして諦めのスイッチは切る!彼はなんか曖昧な表情で控え目に話すけど、なんかかっこいいな、と思った次第。

 

以上です。