やわらかい鶏肉
もう何ヶ月か、一年たった気がする。前回の記事と。
関係ないですが、たまに外食で柔らかすぎる鶏肉かでてくることがあります。あれは何かの加工なんだろうか。たいてい、肉の色がかなり白い気がする。
ネットを調べてもとくに言及されていないけれど、どうしても不自然な気がしてしまう。考えすぎ?すごいちゃんとしたお店っぽい感じだったら下拵えの工夫かな、とも思いますが、そんな感じもしない。誰か知ってる人はいないかしら。
こういうことを聞くと、食にうるさい人みたいに思われるのもちょっとなーと思うし。
ちなみに、業務用みたいなやたら白くて独特な味のするポテトサラダはちょっと苦手。やはりあたしがうるさい、もしくは気にしすぎなだけだろうか。
誰か知ってたら教えてほしい。
マッチングアプリ「pairs」をはじめてみた。男性会員に勝手なアドバイス
みんなつかってるマッチングアプリ「pairs」を11月からやってます。
まだ彼氏は出来ていませんが、70人くらいとマッチングをして10人くらいと会いました。けっこうちゃんと気の合う人とマッチするので楽しく話せる人が多くて単純に楽しいです。そろそろちゃんと付き合いたいと思う・・・。
さて、そんな中で男性のプロフィールをみてて、こうした方がいいのに!って思うことをめちゃくちゃ主観で書いてみます。まぁあたし別に平均的な女子じゃないかもしれないし、女の方も人それぞれだから一概に言えないのは承知です。ただ、本当にそうした方がいいと思うよ!という女友達感覚で思っていることです。
1、顔写真含め、なるべく情報を載せる
まぁ言わずもがなですが、重要だと思うので。見た目の良い悪い、給料の高い低いに関わらず、情報を開示してる、ということ自体に対して信頼感が高まるし、本気が伝わります。私自身あまり見た目で選んでいませんが、写真が無い人は抵抗あります。人間の心理的によくわからない人というのは何かと抵抗を感じるもので、特に他の人が開示している中で開示されていないものには多かれ少なかれ違和感と抵抗感を感じる気がします。自信の無い人も、少しでも何か載せることをオススメします。
2、「今月末でやめます」系コメントはやめる
たまに、「有料会員今月までなのでコメントください」みたいなコメントを載せている人がいますが、あまり意味ないと思うのでやらない方が良いと思います。見てる方は「知らんがな」と思いますし「なんだその待ちの姿勢は!」と思うと思います。積極的に、「今月末までのつもりなのでガンガン行きます!よろしく!」としてガンガン行くならわかるのですが。あと、「有料会員じゃないのでメッセージ交換できません」的コメントもよくないと思います。「じゃぁなんでやってんの」と思われると思います。男性は課金制なので大変だと思います。なのでそれはあえて言ったりせずに、ただマッチしてから考えたらよいのではないかと思います。(仕組みの理解が間違ってたらごめんなさい)
3、「キスが好き」「いちゃいちゃしたい」系のコミュニティを並べない
まぁ、本心なんだろうなーというのと、そういうコミュニティに入っている子とマッチしたいんだろうな、というのは分かるのですがお勧めしません。なぜなら、女子は良く知らん男といちゃいちゃもキスもしたくないからです。女子がそうしたいのはあくまでも好きな人と。もしこれらの項目を生かせる人がいるならそれは相当はイケメンか、かわいい系男子だけです。そうじゃないなら出さない方がいいです。正直、コミュニティを見に行ってこういうのが並んでいると「したくないわ!」とつっこんでしまいます。もちろん、イケメンじゃなくても、かわいい系じゃなくても、好きになってからなら全然いいんです。最初から出されると引く女子は多いと思います。
似た理由で「胸が大きいこが好き」などの身体的なフェチ系もやめた方がいいと思います。ほとんどの人は引くと思います。これについては正直のせてる理由が全く理解できません。
4、足跡をつけまくらない
巡回ツール?なるものがあるとネットのなんかの記事で読んだのでそういうのを使っているのかもしれないですが、定期的に足跡を付ける人がいます。これは必ずしも良い効果的ばかりではないと思います。もちろん、うもれずに見てもらうためにという意味はあると思いますが、あんまり頻繁だと逆に引きますし、「興味あるならいいねしてよ!」ってなると思います。もちろん、課金あるうえにいいね上限もあるのでそんなに簡単に言うな!って思われるかもしれませんが、どちらかというと、本当に趣味が合いそうな人に絞って、メッセージ付きいいねや見てねを使う方が良い気がします。
5、尖った趣味は積極的に出していく
共感をしてくれる人が少なそうなマニアックな趣味も積極的に出してみる方がいいと思います。知られちゃまずいほどやばいやつは別ですが。とにかく、大勢とマッチする必要は全くなくて、たった一人共感者を見つけることがゴールですから、一般受けを目指すより、ターゲットをなるべく絞っていくべきです。コミュニティの仕組みは自分で作れるのでどんなマニアックなものでも作ればいいわけですし、「こういうところに共感してほしい!」という軸で入るコミュニティを選択すべきです。
同じ意味合いから、コミュニティが多すぎる「やたらに入りまくって結局なんだかわからない」状態や、趣味コミュニティが少なく「真剣に婚活中!」「ゆるーいカップルに憧れる」ばかりの「いちゃいちゃしたいのは分かったけどお前はどういう人なんだ」状態は避けた方がいいと思います。
6、メッセージ交換ではちゃんと質問をする
マッチした後ですが、メッセージ交換をしていても質問に答えるばかりで全然質問をしてこない人がいます。これは困ります。こちらが質問を考えてばかり。メッセージは「回答+新たな質問」の構成で完結にやり取りするのが良いと思います。マッチするくらいなので何かしらいいと思っているわけです。答えづらい質問やしつこい質問は問題ですが、質問しないのはもっと困ります。どうしたいんだ!と思います。
あと、最初のメッセージのオススメは定型文ではなく、「ここを良いと思いました」ということをしっかり書くことです。単純にうれしいですし、「何がよくていいねしたんだろ」という疑問が必ずあるので、それが解消されるのはありがたいです。
7、自分を卑下しすぎない
これは会ってからの話ですが、マッチしてごはん行ったときに「自分は見た目が悪いから」としきりに気にする人がいました。写真も見たうえで会いに来ているので、そんなに言うことないと思います。もしマッチしたり会うことになった時は楽しい話をどんどんしたらいいのになーと思います。
以上です。
かくいうあたしも別にまだ彼氏できていないですし、いいねが多いわけでもありません。ただ、かなり趣味を絞り込んでコミュニティを選んでいるので、常時60いいねくらいでもマッチ率は結構高めなんじゃないかと勝手に想像してます。この記事も別にダメだしをしたいわけじゃ全然なくて、勝手な意見で偉そうはあるけれど誰かのプロフィール改善につながれば、と思ってます。身近な男友達に聞かれたら同じ話をします。
みんな自分らしさを全開にしつつ、共感してくれる人に出会って、うまく行ったらいいですね。お互い頑張りましょう。
色々好き勝手言ってすみません。ではおやすみなさい!
本日のFacebook
今たった15分くらいfbみてて、タイムラインに上がってた話題
・f1の種への警告(種があぶないという本の紹介)
・自殺など10代の悩みは相談先がない(mexというサイトの紹介)
・温暖化の進行による生態系の変化(シロクマの餓死寸前動画)
・女性差別(いくつか記事あった)
・人種差別(1万年前のイギリス人は色黒)
・公共教育の議論(制服問題)
・台湾地震(寄付の呼びかけ)
・震災復興関連(映画の紹介)
・貧困問題(いくつか記事あった)
・政治問題(いくつか記事あった)
・教育問題(新しい教育の提示)
・国際問題(パレスチナ訪問レポート)
・宇宙ごみ問題(対策技術)
・気候変化(ゲリラ豪雨の予測技術)
・日本の産業(高品質品でも競争力低下)
感想
・問題が多い(ほぼ社会全体じゃないか)
・それぞれの問題が独立してるわけじゃない
・解釈や温度感は個人の視点だが情報があるのはよい
・みんなが熱心に配信していてありがたい
・見せ方も色々(警告、皮肉や、乗り越える取り組みの紹介など)
・情報収集は難しい(網羅性?立場?)
・ツールは使い方(fbを積極的に使う人々)
なんか情報量にアテられつつ、けど、情報無いよりはいいと思うし、知っても出来ること限られるし、なんかうわぁと思った。雑感でした。
■映画感想■湯を沸かすほどの熱い愛~荒ぶる母性に喰われそうになった~
映画を見た。
結論、とてもよかった。
しかし、みんながどんな感想を持つのかは知らないが、個人的にとにかく強く感じたのは「こんなふうに愛情を注ぎたい!!」という衝動。もう自分でもびっくりするくらい、注ぐアテもないのに、知りもしないのに、共感するわするわ。
彼氏でも子どもでも、即刻、愛情を注ぐ対象がほしくてしょうがなくなった笑。思うに、30頃になると女には育児欲が発動するように本能に仕込まれているのではないか。とにかく、愛情を持て余してしょうがない。別に過保護に溺愛したいということではなくて、何かを応援したり、支えたり、見守ったり、守ったり、何かのためになることをしたいという欲求。
おそらく母性の一端なんだろうけど、母性という言葉に違和感を感じるほど、おっとりしてない激しい感情。荒ぶる母性です。そして愛情の出口が無さすぎて、内側から苦しくなっていく感じ。まさに邪王炎殺黒龍波のように喰うか喰われるか、このまま独りだったら、自分の中の愛情に内側から食い殺されておかしくなっちゃうんじゃないかって心配になった笑。
種の保存のためとはいえ、その時点で居もしない他人を守りたいってのは、いったいどういうことか。不思議でしょうがないけど、なんだか見た後はに辛くなった後で、結果的にちょっとウケたのでした。気持ちはちょっと落ち着いたけど、養子もらう条件とか、産み育てる手段をまともに調べてみようと思っている。
やれやれだぜ!
まず不倫という呼び名がよくないのではないか
心底どうでもいいけど、世の中は不倫の話題でいつだってもちきりである。
そもそも思うに、不倫とは恋愛結婚時代の申し子なのであって、恋愛の結果としての結婚を素晴らしいとする世の中では、恋愛は当然、心変わりを伴うもので、その結果、結婚の関係が揺らぐことは裏表で起き得ることなのではないか。
その点、世論の変化は片手落ちであり、恋愛結婚は素晴らしいけど、不倫は倫理にもとるという、いいとこ取りの潔癖を無自覚に信じ込んでいる。
最近気づいたけれど、不倫という呼び名がまずよくないのではないか。あまりに感傷的で野次馬心を刺激する呼び名だ。もっと事務的な名前をつけた方がいい。
だってそもそも、不倫はなぜいけないのだろう。もちろんあたしは別に不倫を推奨したいわけではいけど、不倫については中傷する側の人がとくに目的をもたなくても堂々としていられることに違和感を感じる。
いけないとされる理由としてあたしが思いつくのは大きく三点。
1 パートナーがかわいそうだから
2 契約違反だから
3 子どもが(いる場合)かわいそうだから
1については、当然気持ちとしては分かる。かわいそうすぎる。自分なら嫌すぎる。ゆるせん。悲しい。しかし、大の大人がやることに対し、こんな理由で第三者が責め立てるのは違和感がある。完全に二人(ともう一人?)の問題であり、事情も知らない赤の他人がどうこう言うことではない。(まぁたいていのゴシップはそういう質のものだが)
2については、間違いなく悪いことだ。だって不倫しません、ということで結婚したんだから。しかし、ここがポイントならもっと事務的に対処すべきであると思う。言ってしまえば法廷に任せる話であって、便乗して他人がダメ出しすることにあまり意味はない。
例外は議員など仕事上の主張と矛盾する振る舞いがある場合。この時はそれが不倫だろうとなんだろうと責任や見解を問われるのは当然だ。
3については、一番重要な点だと思う。最も直接的な影響をうけるのは子どもだ。けど、ここを問題にするのであれば、もはや半分は社会の問題だと言えないか。恋愛結婚社会は、シングルでの子育て、子連れでの再婚が当たり前にできる社会であるべきなのではないか。実情はよく知らないけど、江戸時代のような?キューバのような?
つまり、別れることが不幸や、不幸的イメージにつながらない社会ならば、そもそも問題が生まれないのではないか。もちろんそのためには 、社会保障も世論も色々変わる必要があるし、簡単ではないと思うけど。
まぁ、いずれにしても、個人の倫理観をたたくだけのことに公共の電波や人々の思考が浪費されるのがもったいない。何が問題なのかに合わせて、もっと建設的な話ができればいいと思う。
そのためにはまず「不倫」という、個人的で、しっとりした影のある呼び名をあらためて、批判する人が感情的にならずに話せるような事務的な呼び名にするのが良いのではないか。よい呼び名はないものか。どうだろうか。
『読了』昆虫はすごい 攻めすぎてる生存戦略に驚愕
人間の人格の理想を追求すると犬になるのではないか
どうでもいいけど過去から常々思っていることをひとつ。
あたしの実家では、あたしが子供のころから犬を飼ってきた。現在4頭め。子どものころから犬と暮らしてきた私にとって、尊敬できる者としてかなり上位に犬がランクインしている。今回はその素晴らしい人格について書いてみよう。犬の特性を列記するので、人間をイメージして重ねてみるといかに理想的かがわかると思う。
・基本的に機嫌がいい
・心の底から信じてくれる
・大好きだということを素直に表現してくれる
・悲しんでいると静かに寄り添ってくれる
・楽しんでいると一緒に楽しんでくれる
・家族(仲間)を守ろうとしてくれる
・子どもにはやさしく接する
・幸せそうに食べる
・相手を見た目で判断しない
・置かれた状況を受け入れる
・老いたり、病んだり体調がすぐれなくても人や環境を憎まない
・その時の状態でできることを楽しんでやろうとする(足が痛くても散歩に行きたい)
・いつか訪れる死を受け入れている
・死ぬときは仲間を離れてひっそりその時を迎える
つくづく思う。特に犬が老いていくのを見るときに。その達観した、悟りに近いような、生へのポジティブな期待、死をごく自然に受け入れる度量。何も憎まず、八つ当たりもせず、できることを最大限やって、楽しみ続けようとする姿勢。脚が痛くて立てなくなっても、尻尾を振って機嫌よく見上げてくるあの強さ。
自分がこれから先、いつか老いるし、病気にもなるかもしれない。本当に犬のようにありたいと思う。我が家の死んでいった犬たちのすべてを本気で尊敬している。無条件の信頼も、些細な日常の楽しみ方も、死との向き合い方も、本当に犬たちに学ぶことが多かった。
まだまだ未熟なあたしには遠い目標だけど、欲はなく、けっして怒らず、いつも静かに笑っている。そういう犬にあたしはなりたいと思う。